2023年9月3日日曜日

苦難についてくる神の恵み

聖書箇所 ペテロの第一の手紙412-16

キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。                                                ペテロの第一の手紙414

1.キリストの栄光

信仰者が苦難とともにいただける神さまからのみ恵みが、キリストの栄光だと言われています。キリストの栄光は、イエスさまが十字架の苦難を通して受けられたものでした。神の栄光は本来、神さまのものだけであって、人が受けることはできないものです。しかし神さまは、イエスさまを信じた者を義とされるだけでなく、各々の苦しみの道を通されることで整え、さらにイエスさまと同じ栄光をイエスさまと共に味わう者としてくださるのです。

2.聖霊の満たし

私たちが神さまを証しすることで、たとえ苦しみを受けることがあったとしても、御霊は動ずることなく私たちの霊性を保ち、さらに霊的に満たしてくださいます。そうして私たちは神さまのみ思いに満ちあふれて、それが周りの人々にもわかるようにされて、何をも恐れず証しができるようになるのです。

3.クリスチャンと呼ばれる

人々はイエスさまを信じる信仰者をクリスチャンと呼ぶようになりました。それは彼らが、イエス・キリストを思わせる歩みをしていたからです。彼らは、終わりの時代に生きる者としての切迫感を持ちながら苦難の中にあっても喜びと感謝に満たされて、天の御国への希望を失うことなく歩んでいました。そんなクリスチャンは自分の中心がキリストとなり、神さまと共に歩むという最高の幸いをいただいています。もし私たちがここまで見てきたように苦難においてもその先に約束されている神さまのみ恵みに目をとめることができるならば、苦難を無用に恐れたり、思いわずらったりする必要はないのです。

202393日 週報より 

2023年8月27日日曜日

神さまに目を向けて

聖書箇所 ペテロの第一の手紙47-11

万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。                   ペテロの第一の手紙47

1.心を神さまに定めて歩む

聖書はこの世の終わりを伝えます。それは、人々を脅して信じさせるためではありません。知らないままで滅びないようにという神さまのあわれみなのです。信じた者は、緊張感を持って神さまに心を定めて祈りつつ歩み、心をこの世に置くのではなく、神さまとその祝福に心を定めて歩むようにと示されています。

2.群れで互いに愛し合う

教会という群れの一人一人であることの自覚を持って互いに熱心に愛し合うことの大切さが示されています。私たちは自分の正義感で不平をこぼすのではなく、イエスさまを通して相手を見ていく必要があります。そして神さまが一人一人に与えられている恵みの賜物を用いてお互いに仕え合うように勧められています。

3.愛によって罪を覆う

私たちは、お互いの欠けを探す方向に向き勝ちです。そこに裁きや争いが生じるのです。しかし、神さまに罪赦された者は、神さまの愛によってお互いの罪からくる欠けが気にならなくなるのです。

今日の箇所では、神さまに心を定めて祈りつつ歩むこと、そして教会の群れの一員としての自覚を持ことの大切さが記されています。それは私の思いではなく、神さまの御心通りになるように願うことであり、また、この世や人にとらわれないで、神さまに目を向ける信仰者であるようにということです。そしてそれが苦しみの意味を理解し、また苦しみに対処していくことにもなります。神さまに目を向けることで信仰者が神さまをあがめることになり、キリストのみわざが無駄にならず、キリストがたたえられることになると教えられています。

2023年8月27日 週報より

2023年8月20日日曜日

苦しみへの対処

聖書箇所 ペテロの第一の手紙41-6

それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。                        ペテロの第一の手紙42

今日の箇所では苦しみの意味とその対処について触れられています。

1.罪に対して死んだ者

肉において苦しんだ人とは、イエス・キリストを信じ受け入れた人です。その人はキリストの十字架とともに罪に死んだ者となります。そして苦しみを通されることで、罪が自分に影響しないことを経験して知るのです。それがここで言われている武装の意味であり、信仰にある私たちが聖められ、天の御国に相応しく整えられていきます。

2.霊で生きる新しい人生

神さまを知らない時に過ごした肉の生き方をせず、神さまのお心のままに霊の思いに生きる歩みを一歩踏み出していくように言われています。それは土台となるイエスさまにしっかりと足を置いて、み言葉に従って歩むことです。また歩ませてくださいと願いながらイエスさまに委ねて、勝利を一つ一つ重ねていく歩みです。それが神さまのお心のままに霊で生きる新しい人生です。

3.天の御国を目指して

苦しみの中を通されるのは、神さまが私たち信仰者を憎んでおられるからではなく、天の御国にふさわしく整えられるためでした。私たちは、そこで約束されている資産を受け取ります。それは、この地上で経験するものとは全く違う、朽ちない、汚れない、しぼむことのない資産でした。それは心が震わされる感動がいつまでも続く資産なのです。私たちは、「なぜ神さまは、私が苦しむことがないようにしてくださらないのか」と神さまの愛を疑うのではなく、苦しみを通される意味を良く理解して、しかしその苦しみにはすでに勝利をいただいていること、また必要な苦しみであることを覚えたいのです。

2023820日 週報より