2023年9月24日日曜日

思いわずらいを手放す

聖書箇所 ペテロの第一の手紙56-7

神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。                    ペテロの第一の手紙57節                  

1.神さまにへりくだる

人は高ぶりやすい者です。そこで神さまの前にへりくだって神さまを通して相手を見ることが大切です。へりくだると言っても自分を卑下することではありません。全ての信仰者は、教会で神さまに仕えることができるようにそのための賜物が与えられています。そうして神さまに仕える道具とされて、自己卑下から守られます。卑下ではないへりくだりが神さまの前の謙遜です。

2.自分を低くする

6節では重ねて、神さまの前に自分を低くするように言われています。「私は神さまに自分の思いを主張し、主張の通りにしてくださいとお願いできるような者ではありません。」と神さまの前にただひれ伏すことが、自分を低くすることです。自分が理解できるとか、納得できるという点を一番にするならば、自分を神さまに明け渡すことができません。そして自分を低くすることもできないのです。

3.思いわずらいをゆだねる

私たちはだれでも恐れや不安を持ち、思いわずらいます。しかしイエスさまは「決してあなたを失望させることはしない。私に任せなさい」と私たち一人一人の霊に語り掛けてくださっています。このことを覚えれば覚えるほど、イエスさまが私のことをどれほどに心配してくださっているのかが理解できます。そして思いわずらいを手放すことができるようになります。気づいたらつい思いわずらってしまっている私たちですから、いつもイエスさまに自分の思いわずらいを渡してしまうように努めましょう。それも神さまの前の謙遜なのです。

2023924日 週報より

2023年9月17日日曜日

群れとしての信仰

聖書箇所 ペテロの第一の手紙51-5

同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。     ペテロの第一の手紙55

1.長老たちと若い人たち

ここでの「長老」は年長者に限らず、他の信仰者に対して配慮する側の信仰の先輩です。そして「若い人たち」は年齢ではなく、自分の信仰に目いっぱいでまだ配慮される側の信仰の若い人たちです。教会は、長老たちと若い人たちへの勧めが全うされて、群れとしての信仰が高められていくのです。

2.神さまの道具と神さまの作品

私たちはイエスさまを信じて、神さまのかたちに戻されます。そして神さまのかたちに戻った作品が、信仰の歩みとともに神さまの道具として用いられるようになります。長老は神さまの尊い道具であり、若者は長老の導きで、これから神さまの道具になるうるわしい作品です。やがて神さまが用いられる道具となって群れに仕えるようにされていくのです。世話を受けるのは、恥ずかしいことではありません。これは、神さまが置いてくださった神さまの秩序、ご計画に含まれているものです。そうして群れ全体が成長していくのです。

3.従われる者と従う者

ここで勧められているのは、完璧な人格や、信仰生活ではありません。長老自身も弱さを覚えつつ、残っている肉の思いに振り回されないように主の助けに頼ります。「互いに謙遜を身につけなさい」とは、長老たちが神さまに頼り謙遜に従う中で、若者たちはそんな長老たちに倣い、謙遜を身につけていくようにとの勧めです。そのような長老たちや若者たち、またそのほかの信仰者たちのとりなしによって、群れの信仰が高められ、私たち11人の信仰もイエスさまの土台にしっかり立った足腰の強い信仰になると教えられています。

2023917日 週報より

2023年9月10日日曜日

教会から始まるさばきとは

聖書箇所 ペテロの第一の手紙417-19

それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。                                                              ペテロの第一の手紙417

1.神の家から始められるさばき

イエスさまを信じた群れである私たちから、すでに神さまはさばきを始めておられると言います。このさばきとは、信仰者を試練によって、ふるいにかけることを指します。神さまは私たちをふるい落とすのが目的ではなく、私たちが自分中心から神さま中心の歩み方に向くようにしておられるのです。

2.信仰者への警告

教会から神さまのさばきがすでに始められているのであれば、神さまの救いに目を止めない人たちへのさばきは、どれほど容赦のないものになるか考えるだけで恐ろしいと言います。 これは未信者への脅しというより、信仰者への警告です。気楽な信仰を求める者は、信仰を持たない人たちの領域に戻ることになり、終わりの日にはそれこそ情け容赦のないさばきを受けることになると示されているのです。

3.神さまが導く信仰の歩み

1にどんな苦しみであっても、それは神さまの御旨によって与えられているものだと信じて歩むことです。第2には、世からのどのような苦しみであろうと復讐ではなく、善で返していくことです。第3としては、真実な神さまに自分をゆだねることです。どんな苦しみが押し寄せてこようと、最後まで責任を持って守り導いてくださる神さまに全部お任せするのです。

今日教えられるもっとも大切なことは、私たちが自分の思いを手放して、神さまのお心のみが正しく、神さまのお心通りになるようにという信仰に歩むことなのです。

2023910日 週報より