2023年10月8日日曜日

聖書が伝える心の安らぎ② 

聖書箇所 ヨハネによる福音書4章16-30節

あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

     ヨハネによる福音書421

1. 女性の素性

この女性は夫を5人変えて、今は正式の夫でない男性と同棲していました。ご主人側の問題もあったかもしれません。しかし、彼女自身にも周囲に後ろめたい状況があったことは確かです。心の奥は渇ききっていてそれを閉じ込めていたので、決して心が安らぐことはなかったでしょう。彼女はイエスさまが何も聞かずに、自分の素性を言い当てたので、神さまがすべてをご存知だと観念して心を開きます。

2. 女性の信仰

心を開いたことで女性の心の奥に眠っていた信仰が目覚めます。人は皆生まれながらに信仰心を持っています。神さまのひとり子イエスさまは、私たちの心の闇、罪をなくすために自ら十字架にかかって、私たちの罪からくる罰を代わりにお受けくださったのです。このイエスさまを信じる時に私たちの心が開かれて、心の闇が光に消されて、罪が赦されます。そして心に本当の安らぎが与えられるのです。

3. 変えられた女性

これまで人目を避けてきた彼女でしたが、町の人々にイエスさまのことを堂々と伝えてイエスさまのもとに導きました。今や彼女の中では生ける水が泉となってあふれ出ていました。この女性は、はじめ神さまに背をむけて、歩んでいました。聖書はそれを罪とし、私たちにも同じ罪があると言います。この罪があるままだと心の渇きを潤すことはできません。女性はイエスさまによって変えられたのです。イエスさまを信じた者はだれでも罪赦され、生ける水によって心の渇きが満たされます。本当の心の安らぎをいただくことができるのです。イエスさまはそのために十字架にかかられました。

2023年10月8日 週報より

2023年10月7日土曜日

聖書が伝える心の安らぎ①

聖書箇所 ヨハネによる福音書46-15

わが魂はあなたをかわき望む。水なき、かわき衰えた地にあるように、わが肉体はあなたを慕いこがれる。                                                                              詩篇631                

1. 心の安らぎ

よく眠れたり、広いお風呂にゆっくりと入ると私たちはからだの安らぎを覚えます。また、のどの渇きを潤す時もそうでしょう。聖書は心も渇くと言います。私たちにはこの世のものでは、どのようにしても満たされない心の渇きがあって、心が安らぐことがないと言われています。しかし、神さまは私たちの心の渇きを潤すことができます。そして私たちは本当の心の安らぎを覚えることができるのです。

2. 渇きをいやされるイエスさま

イエスさまは、サマリヤの女性に「生ける水」の話をされます。「生ける水」とは「御霊」のことです。私たちは「御霊」によって神さまの愛と喜びと平安に満たされます。この「御霊」であるイエスさまの「生ける水」が、私たちの心の渇きをいやして、心に安らぎを与えるのです。

3. 生ける水をいただくために

「生ける水」である「御霊」をいただくには、神さまと私たちとの間の壁である「罪」を取り除く必要があります。「自分は悪くない。悪いのは他の人」という自分本位を聖書は罪とします。人を傷つける、盗むだけではなく、この自分本位や偽り、ねたみ、うらみなど心の中の悪い思いすべてが罪です。イエスさまは十字架で死なれ、葬られましたが、三日目によみがえられました。これを信じるすべての人は罪が赦されて、神さまの前に罪がない者とされます。イエスさまは十字架で私たちの罪に対する罰を代わってお受けくださったのです。罪赦された者は「御霊」をいただきます。そして「生ける水」で心の渇きを潤されて、心に本当の安らぎをいただくことができるのです。

2023107日(土)オープンチャーチ プログラムより 

2023年10月1日日曜日

神が私たちの味方

聖書箇所 ペテロの第一の手紙57-9

この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。   ペテロの第一の手紙59節                  

1.信仰者の敵である悪魔

ペテロは、神さまの前にへりくだって歩もうとする信仰者を妨害する悪魔の働きを良く知っていました。「お前のように罪ゆるされてもまた罪に汚れるような弱い者は神さまが見放している」といった悪魔の声に耳を貸してはいけません。神さまのお言葉の約束を信じ切り、いつも私たちの足元で支え続けてくださっているイエスさまに目をとめて歩んでまいりましょう。

2.身を慎み、目を覚ます

身を慎むとは、この世のことに心奪われずに歩むことです。それは、お言葉を信じて従順に歩むことです。また目を覚ましているとは、警戒を怠らないようにすることです。なぜならこの世は悪魔の仕掛けた巧みな罠に満ちているからです。ペテロ自身もその恐ろしさに身震いさせられる経験を何度もしたのでしょう。悪魔は、私たち信仰者が思い煩いをも神さまにゆだね、身を慎み、目をさまして歩むことを嫌います。そのような信仰者は悪魔の罠に落ちることがないからです。

3.信仰にかたく立つ

「信仰にかたく立って」とは、私たちが自分だけで信仰を強めて立ち上がるということではありません。悪魔よりも圧倒的に力あるお方である神さまに頼って立ち向かっていくようにということです。「神さまが私の味方なのだ。たとえ悪魔が向かって来ようと神さまに頼る私には勝てない。」と言い切る信仰に立って、抵抗していくということです。ペテロは神さまに頼る信仰によって悪魔に勝利した経験から、彼の信仰の証しを伝えています。そして私たちもこの信仰に立って歩んで行くことを神さまが何より望んでおられます。

2023101日 週報より