2023年12月24日日曜日

私たちとともにおられる神

聖書箇所イザヤ書714

見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。                                                                                                                      イザヤ714

 私たちは「メリークリスマス」といいます。メリーは「おめでとう」、クリスは「イエス・キリスト」のこと、マスは礼拝のことです。つまりイエスさまが来られて礼拝できる喜びがメリークリスマスです。イエスさまのお誕生は、聖書に書かれている遠い昔からの神さまの約束でした。その約束を世界中の人たちが知って、待ちわびていたから、そして神さまがその約束を果たしてくださったから、今も世界中の人たちがクリスマスをお祝いしているのです。

ところで私たちは約束を守れていますか。会社や職場、また家族の中でいろいろな約束をしていると思いますが、その達成度合いはいかがでしょう。私たちは約束を守れなかったり、忘れてしまったりすることがあるのではないでしょうか。私にはあります。そして、約束を守れなかった時にはごまかしたり、言い訳して人のせいにしたり、噓をついたりすることもありました。

神さまはそのような態度、行為やことばを罪とされます。人を傷つけたり、盗むだけではなくて、他人のせいにしてしまうことや心の中の悪い思いも罪なのです。

しかし神さまはこのような罪ある私たちへの約束を守り、イエスさまをお送りくださいました。イエスさまは1つの罪も犯されませんでしたが、私たちの罪をご自分のこととしてすべて引き受けてくださいました。その罪の罰が十字架でした。イエスさまは十字架にかかって死なれました。しかし3日目によみがえられました。このことを信じる者は、誰でも神さまに罪のない神の子としていただけます。そしてお言葉のインマヌエルのとおり、イエスさまがいつも私たちといっしょにいてくださいます。「何があってもあなたと一緒にいますよ、あなたを決して見捨てませんよ」と約束してくださるイエスさまを私たちに神さまがプレゼントしてくださったのです。

このイエスさまを受けとることがクリスマス、いつも一緒にいてくださるイエスさまの愛に気付き、その愛を受け入れるのがクリスマス、イエスさまを信じることで、これまでの悪いことも悪い思いも拭い去られて新しい歩みを始めるのがクリスマス、神さまそして神の子イエスさまありがとうと感謝するのがクリスマスなのです。

20231224日 イブ集会メッセージ抜粋

平和の王の誕生

聖書箇所 イザヤ書96

ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。                        イザヤ書96

クリスマスはイエス・キリストが、お生まれになったことを喜び、お祝いする日です。イエスさまの誕生は遠い昔からの神さまの約束でした。この約束の実現を私たちが実感できることが、クリスマスの喜びなのです。イエスさまは「平和の君」と言われています。聖書はこの世に争いや戦争がないとは言っていません。しかし平和の君であるイエスさまが神の国の王になり、平和が訪れることは神さまの約束です。それはイエスさまの誕生と同じようにこの先必ず実現します。

聖書はまずイエスさまを信じて、私たちが神さまとの平和を実現するように教えます。人は誰しも人を分け隔てる思い、自己中心の思い等があります。それらは神さまの前に罪となります。そのため罪を嫌われる神さまと私たちの間に平和がないのです。イエスさまは私たちのすべての罪を引き受けて、私たちの代わりに十字架で罰を受けてくださいました。神さまはイエスさまを死からよみがえらせて、信じるすべての人を罪なき者として神さまとの平和をくださいます。

国と国との争いは相手への敵意から生まれます。それは自国のみが正しいとし、守ろうとする思いから来るものです。私たち一人一人にも自己保身の思いから敵意が生じます。しかしその敵意は、神さまにある平和と神さまの愛によって消すことができるのです。神さまの愛に満たされた思いと行動は、大きな敵意にも良い影響を与え続けます。

クリスマスは、一人一人が神さまとの平和の大切さを知って受け入れる日、神さまにある平和と神の国のできる未来を確信し、消えることなない希望と神さまにある平安をいただく日でもあります。

2023年1224日 週報より

2023年12月17日日曜日

遠い昔からの神の約束

聖書箇所 イザヤ書533-7

まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。       イザヤ書534

1.神さまの預言者イザヤ

イザヤはイエスさまがお生まれになる約700年前に南ユダ王国で働きをした預言者です。当時人々の心は神さまから離れ、礼拝は形だけになっていました。神さまは、イザヤを通して厳しい警告を与えますが、何度警告されても人々は神さまに心を向けませんでした。そこで神さまはバビロン捕囚という厳しい裁きをなされました。しかし神さまは、そのような中でも神さまへの信仰を示す者に回復を与え、信仰の民を残してこられたことが歴史を通して明らかにされています。

2.しもべとして来られたイエスさま

神さまはどこまでも背き続ける民に神さまの計画を忠実に実行するしもべを送ってくださいました。このしもべが救い主なるイエス・キリストです。イエスさまを信じた私たちは、罪の赦しと神の国の希望をいただきます。これは、イザヤが神さまの約束として伝えていたものです。神さまは必ず約束を守られるお方です。その神さまが送られたイエスさまによって、私たちの日々の歩みが支えられています。

3.聖なる怒りを受けられたイエスさま

神さまは人々の背きの罪を忘れてしまわれたのではありません。神さまの聖なる怒りは、イエスさまの上に振りおろされ、処理されました。それがイエスさまの十字架、罪人である私たちの身代わりの死でした。それによって神さまは信じた私たちすべてを迎え入れてくださるのです。イエスさまはこの地上にお生まれになり、神さまの怒りの十字架にまっすぐに向かわれました。私たちに示されたその愛を心から感謝して、クリスマスをともにお祝いいたしましょう。

20231217日 週報より