2024年1月7日日曜日

喜びをともにする幸い

聖書箇所 マルコによる福音書2章1-12節

すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、                                  マルコによる福音書21-12

1.四人の信仰

四人は家の屋根をはがしてまでも、中風の人をイエスさまに癒していただこうとしました。彼らはイエスさまに不可能はなく、必ず癒してくださると信じきっていました。私たちもイエスさまに不可能はないことを信じる信仰に立っていることを忘れてはなりません。神さまは、とりなす祈り手の信仰にも必ずこたえてくださるので、私たちは決してあきらめないとりなしの祈り手になる必要があります。

2.中風の人の信仰

中風の人は、罪意識によって心が縛られていました。イエスさまは、彼に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。その権威あるお言葉の前に、彼は「私は罪が赦された、もはや病人でもない」そう信じてすぐに立ち上がる決心をし、歩くことができました。ここに彼の信仰があります。これが罪ゆるされた者の歩みです。信じた私たちも同様に罪の床から一歩踏み出し歩む者とされたのです。

3.人々と律法学者たち

四人は、癒された彼と共に喜びに喜んだことでしょう。周りにいた人々も「子よ、あなたの罪は赦された」と言われたイエスさまのお言葉を自分のこととして受けとめました。彼らも神さまの前に罪の意識がありました。「今のままで良いのだろうか」と不安を抱えていました。しかし律法学者たちは違いました。彼らは神さまの前に正しく罪などないと思い込んでいたからです。私たちは神さまの前に罪ある者だと認める時に初めて罪の赦しをいただきます。そして神さまの前に罪なき者として立つことのできる恵みがどれほど素晴らしい者であるかを知ることができるのです。

202417日 週報より

2024年1月1日月曜日

御霊によって歩む

聖書箇所 ガラテヤ人への手紙5章16-18

もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。ガラテヤ人への手紙518

1.御霊による歩みの継続

ガラテヤ地方のクリスチャンたちは御霊を遠ざけて、律法主義や肉の欲に従う間違った歩みを始めていました。そこで、パウロは「あなたたちは、御霊によって信仰の歩みをはじめたのだから、最後まで御霊によって歩むように」と警告を与えています。

2.御霊による肉の支配

私たち信仰者の内には、常にこの世と真理の御霊との戦いが起こります。パウロは自分の弱さを覚えても、御霊に仕えることで神さまから力をいただきました。そして私の力は弱さのうちに完全に現れると言うことができました。御霊は私たちを助け、必要な指示を出して神さまの支配を広げ、確実に勝利を導いてくださいます。

3.御霊によって歩むために

御霊によって歩むためにどうすればよいのでしょうか。

第一に自分の中の御霊の働きを意識し、その働きを確信することです。み言葉を示される時、罪を示される時、また他の人の証し等によって私たちは御霊の存在を確認し、意識することができます。

第二に御霊の力を信じることです。御霊には神さまの支配を広げ、肉の思いを圧倒する力が確かにあります。

第三は、御霊に従っていくことで、肉の思いに振り回されずに神さまのみ心の内を歩めると確信することです。御霊の助けを受けることは、神さまの助けを受けることであり、御霊によって悟ることは神さまによる悟りとなります。

新しい年に「御霊の導きを信じる」歩みをともにいたしましょう。

202411日 新年元日礼拝プログラムより

2023年12月31日日曜日

良くしてくださる神さま

聖書箇所 詩篇1031-18

天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わる いつくしみは大きい、                                                                                                                 詩篇10311

1.神さまの恵みを感謝する

ダビデは神さまからの恵みに対して神さまを褒めたたえています。同時にその恵みを心にとめるように自分自身に呼びかけています。私たちはどうでしょうか。神さまからの恵みを意外に早く忘れてしまうかもしれません。ダビデは神さまからの恵みを数えて忘れずに、神さまを恐れることがとても大切なことを理解していました。だからこそすぐに、素直に神さまの前に悔改めることができたのです。ダビデは、不義(罪)の赦しを神さまの恵みの一番にあげています。さらに神さまによる病の癒しやあわれみ、また神さまがいつも良いもので満たしてくださる恵みにも感謝しています。

2.恵みによって神さまを恐れる

神さまは私たちの罪にしたがって私たちを扱うことはなさらないお方です。そして私たちの“とが”をはるか遠くに追いやってくださいます。“とが”は罪を引き起こす不満に満ちた心です。私たちには恨みや怒りを忘れられず、倍返ししないとおさまらない弱さがあります。しかし神さまは私たちの罪を遠ざけてくださり、いつまでも覚えておられずにあわれんでくださるのです。その上で神さまは一日、また一日と私たちを確実に支えてくださって、明日のことは思いわずらうなと言われます。ダビデは神さまの恵みを「何一つ忘れるな」と言い、恵みを数えて主を恐れました。

新しい年に神さまの恵みを数えて励まされ、勇気と力をいただきましょう。私たちの弱さをよく知って、あわれんで恵んでくださるこのお方に感謝しましょう。そして一日、また一日と与えられる恵みを数えて、神さまを恐れて歩んでまいりましょう。

20231231日 週報より