2021年5月16日日曜日

愛する者を訓練される主 

 「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛するものを訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。」                                                ヘブル12章5-6節

 主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきある。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。」(Iヨハネ3:16-20) 主の訓練について旧約聖書、申命記11:2に、「あなたがたは、きょう、次のことを知らなければならない。わたしが語るのは、あなたがたの子供たちに対してではない。彼らはあなたがたの神、主の訓練と、主の大いなる事と、その強い手と、伸べた腕とを  知らず、また見なかった。」とあり、クリスチャンたちが、子供のように素直であることは素晴らしいことですが、神さまに対して一人前の十分に責任感をもって対応する大人として、主の  訓練、主の大いなる事、述べられた働きかけを、しっかり受け止める大人であるべきことを勧めておられるのです。幼子のごとくに柔らかい心とはっきりした信仰をもって、霊的な大人として正しく強く振る舞うことが求められているのではないでしょうか。

 2021年5月16日 週報より

2021年5月9日日曜日

 母の祈り・母の愛

「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない」。    申命記318 

ハンナは、もう1人の妻ペニンナから、自分に子供が与えられないことで、悩まされていました。ハンナは、祈るうちに、自分の自我に気づきます。そしてその内側にある、自分の心を神さまに注ぎだして、神さまにすべてを委ねたのです。「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない(申命記31:8)。」との確信で、平安をいただきました。ハンナを取り巻く環境は何も変わっていませんが、ハンナの心は大きく変えられました。

神さまの愛は、イエスさまによって明確にあらわされています。イエスさまは、私たちが、罪によって、永遠の苦しみの場所に行くことがないように、私たちの身代わりとなって、そのいのちを十字架でささげてくださいました。死んで葬られましたが、3日目によみがえられたのです。このことを信じる者はだれでも罪が赦されて、永遠の天国に行くことができます。

母親がもつ愛は、この神さまの愛に似ています。自分のことを犠牲にしてでも、自分のこどもは助けたいと自然に思える愛です。今日は母の日です。そんな、母の愛で、私達のために色々な事をしてくださるお母さまに何か喜ばれる事を考えて実行し、感謝をあらわしましょう。そして、何より私たちを罪と永遠の苦しみの場所から救ってくださったイエスさまに感謝しましょう。まだ、信じておられない方は、イエスさまを信じ救われて永遠の天国の約束をいただきましょう。

2021年5月9日 週報より


2021年5月2日日曜日

光の中を歩む 

「すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。    Iヨハネ1章3節                       

ヨハネの手紙を書いたヨハネは、イエスさまに招かれて弟子となった漁師であったヨハネです。伝説によれば、ヨハネの母はサロメで、イエスさまの母のマリヤと姉妹であったと思われますので、イエスさまとヨハネは従兄弟であったと思われます。ペテロとヤコブとともにヨハネはイエスさまにとってとても近しい友であり、弟子であったと思われます。ヨハネの手紙は  (1)イエスにあって永遠の命を持っていることを知るためにまた、(2)キリストの命令を守って生きるために信者を助けようとして書かれたものと思われます。鍵の聖句ともいえるものは、「これらのことをあなたに書き送ったのは、神の子の御名を信じるあなた方に、永遠の命を持っていることを、悟らせるためでる。」この聖句から、神さまとの交わりに関して、神さまはきよいお方であられるので、罪人と交わることは致されません。クリスチャンは罪を許され、きよめられたので神さまとの交わりが許されており、それは神さまの家族の一員であることを意味しています。さらに、神さまは、私達を愛して下さっておられるのですから、永遠の命を持っている私たちは互いに愛し合うべきなのです。互いに愛し合う方法の一つに、互いのために祈り合うことがあります。
 
2021年5月2日週報より