2021年9月26日日曜日

 神を知ることの喜び 

「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」                                                                                                           ホセア書66節           

 1  神さまを知ることを軽んじたイスラエル

ホセア書61節では、「主なる神さまに帰る(立ち返る)」ことが、また、3節には、「主なる神さまを知ることを切に追い求める」ことが語られています。しかし、2節は、早急な神さまからのいやしを求める安易な内容となっています。全体としての呼びかけは、正しいものでしたけれども、その中身は、あまりにも安易で軽々しいものでした。

2  神さまを知るとはどういうことでしょうか

ホセア6:6で、神さまは犠牲以上に、主を知ることを喜ぶと言われています。神さまへの犠牲で失敗をしたサウル王に対し、サムエルは、こう言っています。サムエル記上15:22「サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」神さまの御声を聞くことがなければ、神さまの永遠のご計画について知ることはできません。神さまに対して、無関心な者となり、神さまと同じ目線、同じ立場で、目的に向かって共に歩んで行くことはできないのです。

この神さまと共に歩む経験を通して、私たちはますます神さまのことを知ることができるようになるのです。そしてそれが、私たち11人の神さまのご計画を知ることの喜びとなり、また、そんな私たちを神さまが何より喜んでくださいます。知った気にならないで、どこまでも知ることに努めましょう。集会、日々のデボーション、聖書の通読を大切にして、神さまに聞き従ってまいりましょう

 2021年9月26日 週報より

2021年9月19日日曜日

 神の栄光をほめたたえる者 

「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。」                                エペソ人への手紙110

 このエペソへの手紙は、エペソを中心とした小アジアの諸教会(スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア,ラオデキヤ、コロサイ、ヒエラポリス、トロアス、アソス)への回状と思われます。また、使徒行伝を見ると、パウロは生涯四回の入獄経験があり、それらは、①ピリピ(使徒16:19-40)、エルサレム(同21:27-23:30)、カイザリヤ(同3:31-26:32)、ローマ(同28:16-38)で、カイザリヤとローマは、それぞれ約2年間と長期に渡っています。パウロのエペソを中心とする小アジアとの関係は、第2次伝道旅行(50-53年)の帰途にエペソに立ち寄り(使徒18:19--21)、そこでアクラとプリスキラが伝道し、第3次伝道旅行(53-56年)には約2年半滞在しています(同19:1-20)。後に、パウロはテモテをエペソの牧会者として任命しています。

 エペソ110節は、キリストこそ宇宙万物の中心であり、キリストにあって1つに集められるという神のご支配の計画を現わしており、パウロがガラテヤ書やローマ書で示した「信仰義認」=キリストの恵みによる救いは十字架の贖いで完成された霊的祝福で、教会はキリストによる統合の実なのです。永遠の選び(エペソ1:4)、子とされること(同1:5)、罪の赦し(同1:7)、御国を受け継ぐこと(同1:11)と主の恵みが示されているのです。「イエスをキリストを信じる」ことの大きな意味が示されていますが、主イエスさまから賜った尊い宝物として受け、その事実をまだ知らない人に宣べ伝える大きな働きが、求められています。 

2021919日週報より

2021年9月12日日曜日

 望みの門 

「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。                       ホセア書12節     

 このお言葉は、伴侶の不貞に耐えるようにとの勧めではありません。神さまがご自分の民から裏切られる痛みを、ホセアを通してあらわすという意味があります。

1.神さまは、どこまでも追い求め、愛し続けてくださる

ホセアは、妻のゴメルが不貞による2人の子供を産んだ後も、彼女を愛します。神さまも、何度となくバアルの神に心を寄せるイスラエルの民を愛し続け、バビロン捕囚を通して改めさせました。また、約束通りにイスラエルの国を再建されます。神さまは、何百、何千という歴史の中で、彼らをどこまでも追い求め、愛することを止められません。その神さまは、歴史の長さを深さに変えて、私たちをどこまでも深く、追い求めてくださいます。私たちの心がどれだけ深いところに沈んでいたとしても、神さまの御手が届かない場所はありません。いつもあなたの心の戸を叩いてどれほどあなたのことを愛しているか気づいて欲しいと思っておられます。

2.私たちは罪に向き合わなければならない

私たちの中で、神さまが喜ばれないとわかっていても、改められない部分はないでしょうか。アコルの谷は、罪を犯した者への神さまの怒りを象徴しています。しかし、それを望みの門として与えると言われています(ホセア2:15)。私たちが、私たちの中のアコルの谷に向き合うとき、神さまはその罪を赦し、愛でこたえてくださいます。すぐにできなくても、自分だけでやろうとしなくても、神さまがともに問題に向き合ってくださいます。そこを取り除いてください、取り除けるようにどうか導いてくださいと祈りましょう。

 2021912日 週報より