真理を行う者は
しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。 ヨハネによる福音書3章21節
2022年4月10日 週報より
真理を行う者は
しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。 ヨハネによる福音書3章21節
2022年4月10日 週報より
野生のオリーブ
1.救い主は来られた
ゼカリヤ書9章9節には、ロバに乗って来られる王なる救い主のことが記されています。救い主イエスさまは、その通りにロバに乗ってエルサレムに入場されました。聖書は歴史の真実を語り、また、唯一の神さまの言葉です。故にその預言は必ず現実のものとなります。
2.救い主はふたたび来られる
ゼカリヤ書9章10節は、イスラエルが神の国となり、イエスさまがその王となられることの預言です。この預言も必ず実現します。その時、罪がある者は、神の国に入ることができません。後悔してももう遅いのです。自分本位・自己中心の罪は誰にもあります。イエスさまが私の罪の身代わりに十字架で死なれ、3日目によみがえられたことを信じるすべての者に神さまは、罪の赦しと神の国への約束をくださいます。
3.神の民の回復
ゼカリヤ書9章12節は、神の民の回復の預言です。彼らは、これから多くの苦しみを経て、神の国を建て上げます。先にイエスさまを信じ救われた私たちは、その苦しみを神さまの守りの中で過ごし、神の国に入ります。私たちは野生種のオリーブで、実のならない存在でした。しかし、実のなる良い木に接ぎ木され神の民となりました。私たちは神の民である彼らが信奉するアブラハムに倣い、自分の手にあるものを1つ1つ手放して、神さまに頼って歩む者とされましょう。
2022年4月3日週報より
断食をする時には
1.
断食の思い違い
神殿の再建工事が順調に進む中、失われた神殿のための断食の継続の必要を神さまに尋ねます。そこで神さまは、あなたがたの断食は、ただ、あなたがた自身のため、あなたがたの目的を達成するための手段となっていないかと問われます。
2.
断食とは
断食は、旧約の「贖罪の日」に身を聖く保つ方法として、民たちで決めて行うようになったものです。神さまに心を向けて祈りに集中するための断食には意味がありました。しかし、それが形ばかりになってしまっていました。イエスさまも、律法学者やパリサイ人たちにそのことを指摘しています(マタイ6:16)。イエスさまは、「人を愛すること」の象徴的な行為としての「断食」の大切さを示しておられます。
3.
断食と私たち
断食は強制されるものではありませんが、使徒行伝の中にもしばしば登場します。それは断食によって、神さまに祈りがよく聞かれるからでしょうか。しかし、ダビデは病気になった子供のために断食して祈りますが、その願い通りにはなりませんでした。断食は体の弱さを覚えて、人の痛みを自分の痛みとして、神さまにも人にも誠実に向き合っていくために用いられるものなのです。目に見える断食が大切なのではなく、神さまに心を向けて、神さまのおことばに聞いて従う、霊的な断食が何よりも大切であるということを教えられています。
2022年3月20日 週報より