2023年10月29日日曜日

マルコの願い、神さまの望み

聖書箇所 マルコによる福音書11

神の子イエス・キリストの福音のはじめ。                               マルコによる福音書11節                  

1.福音

「福音」とは、良い知らせです。マルコは「あなたに救いについての良い知らせがあります。それがイエス・キリストによってもたらされました。これから良い知らせについて書きます。」と言っています。そこでマルコは、イエスさまがどこで生まれ育ったかをつぶさに記すのではなく、イエスさまが神の子であり、救い主として来られたことに焦点をあてて描いています。

2.福音書

福音の中心はイエスさまの十字架と復活、そして再臨です。しかし使徒たちは、それだけを伝えたのではなかったでしょう。イエスさまの奇蹟のみわざや、語られたたとえ話などもあわせて伝えていたはずです。彼らは聖霊によって、イエスさまのその時々のことを正しく思い起こしては人々に伝えました。さらに使徒たちがこの世から去っても、彼らの伝えた内容が正確に後世に伝えられるようにと書き記されたのが福音書です。

3.マルコ

マルコはバルナバのいとこであり、多くの信仰者の集まる家で育ちました。常にイエスさまの福音に触れて信仰が養われたようです。しかしはじめての伝道旅行では、くじけて途中で帰ってしまいます。それでもバルナバの辛抱強い導きもあって、のちにパウロから役に立つ者と言われるほどの伝道者に成長しました。そのマルコが、イエスさまの語られたおことばや出来事のすべてをも福音として私たちが受け取ることを願って書かれたのがこの福音書なのです。

20231029日 週報より

2023年10月22日日曜日

神の義・愛・恵み

聖書箇所 ペテロの第一の手紙512-14

この恵みのうちに、かたく立っていなさい。                          ペテロの第一の手紙512節                  

1.神さまのまことの恵み

ペテロは神さまからの一方的な御恵みを味わい、その恵みの中を歩むのが信仰の歩みであペテロって、私もそのようにされた一人なのだと伝えています。恵みあふれる神さまの御手の中にあると確信することで、つらいこともうれしいことも、すべては神さまの最善だと受けとめることができるのです。ペテロは全ての信仰者が同じようにまことの恵みにつつまれた歩みをしてほしいと願っているのです。

2.神さまによる結びつき

この手紙は、ペテロが信頼する協力者シルワノの記述です。支え合える信仰の友との結びつきは、人間的なものを越えたイエス・キリストによる切り離すことのできない関係です。教会も同じです。イエスさまを通して、神さまが選ばれた群れの一人一人を受け入れるのです。そうしてお互いに愛し合い、支え合うことが神さまの御心です。

3.お互いに大切な存在

ペテロは「愛の接吻をもって」と言います。これはあなたを本当に大切に思っていますという思いを込めて、あいさつをしなさいということです。イエスさまのお体である教会の一人一人が大切な存在であり、お互いが愛で結びあわされた一つ一つの器官であるからです。

ペテロ第一の手紙で示されてきたもっとも大切な点、それは神さまだけが正しいこと、神さまのなさることはすべて愛から出ていること、そして神さまはあふるる恵みの神さまであるということです。これはペテロ自身がイエスさまと苦楽を共にし、自らの体験をもとにした強い信頼と期待が込められた彼のあかしなのです。

20231022日 週報より

2023年10月15日日曜日

あふるる恵みの神

聖書箇所 ペテロの第一の手紙57-9

あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、

ペテロの第一の手紙510     

1.苦しみはあなたにだけではない

神さまのご計画の中には苦しみの道も含まれます。そこで大切なことは、苦しみを通してさらに私たちを整えてくださる神さまの深い愛を受けとめることです。「なぜ自分だけが苦しむのか」と思う信仰者に「あなたに特別な問題があるからでも、神さまの意地悪でもなく、すべての信仰者が通る道なのです」と言われています。神さまは決して無駄にまた無意味に苦しみを与えるお方ではないのです。

2.苦しみはあるべき姿にもどす

510節のいやしには、「本来あるべき姿にする」という意味があります。神さまの前のあるべき姿とは、神さまの御心にかなう生き方です。それは神さまの作品として完成し、神さまの道具として用いられる姿です。神さまは試練を用いて神さまの作品にもどしてくださいます。そして神さまの道具として用いてくださいます。それが私たちに自然で平安で喜びあふれる本来のあるべき歩みなのです。

3.苦しみは神さまのあふれる恵み

私たちはイエスさまを通して、永遠に至る最高の栄誉を受けることができます。それは、神さまの目にさえ、一点の欠けやしみもない神さまの最高の作品になることです。これを待ち望むならば、今の苦しみは言うに足りないものとなります。神さまそのものがあらゆる恵みであり、苦しみさえも神さまの御恵みと確信できるのです。そのような信仰者は、「どうか、力が世々限りなく、神にあるように」と言います。私をあらゆる恵みに満たすことができるのは永遠なるご性質を持つまことの神さまだけですと、神さまをたたえるのです。

20231015日 週報より