2024年3月3日日曜日

あなたもイエスさまの家族

聖書箇所 マルコによる福音書331-35

神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。          マルコによる福音書335

1.イエスさまの身内に対する態度

母と兄弟たちが来ていることを伝え聞いたイエスさまは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」と返事をされました。これは、あまりにも身内に対して冷たい言葉に感じます。しかしイエスさまは、信仰さえあれば身内に冷たくて良いと教えられているのではありません。このお言葉にあるイエスさまの思いを見てみましょう。

2.目に見えない霊的な結びつきの大切さ

イエスさまはここで、「わたしの母、わたしの兄弟」をたとえとして用いています。イエスさまを信じた者同志が霊的にどれだけ強く、深いつながりになっているのか、それはこの世における私たちの肉親以上のつながりだと言われています。またイエスさまは信じた私たちをこの世の肉親以上に霊的なもっとも身近な関係として愛し、導き、見守りながら必要な助けをしてくださっています。それを「わたしの母、わたしの兄弟」という言葉を用いて表現されているのです。

3.神のみこころをおこなう者

イエスさまを囲んですわっていた人々(32)は、イエスさまの話を一生懸命聞こうとしていました。イエスさまは、「あなたがたはわたしの言葉を聞いて、従おうとする者です。わたしはあなたがたの霊的成長を見越して、神のみこころを行う者としています。そんなあなたがたは、わたしのもっとも身近な霊の家族です。」と言ってくださっているのです。イエスさまを信じてお言葉に親しみ、お言葉に従って歩もう、歩みたいので助けてくださいとイエスさまに頼る者は皆、みこころを行う者であり、イエスさまの霊の家族の一人となります。これは信じた者に欠かせない恵みの福音(良い知らせ)です。

202433日 週報より 

2024年2月25日日曜日

ゆるされない罪とは

聖書箇所 マルコによる福音書319c-30

しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる。       マルコによる福音書329

1.真理を見えなくするもの

律法学者たちは、イエスさまが汚れた霊の力で悪霊たちを追い出していると言います。彼らは、自分たちの立場を守ろうとする肉の思いからイエスさまの奇跡を悪しき霊の内部抗争だと言い張ります。 肉の思いは私たちの霊の目もふさぎます。いつも聖霊を意識し、肉の思いを神さまに明け渡して、霊の目で見る必要を教えられます。

2.律法学者たちに示された福音

ここでイエスさまは、「悪しき霊たちも内輪もめすれば、自滅してしまうことは分かっているので、彼らもそのようなことはしない」とたとえを用いて説明されています。そして「わたしは悪霊よりもはるかに強い神の力で悪霊たちを縛りあげて、人々を神さまの支配の中に移しているのです」と伝えています。私たちはイエスさまを信じることで、神の前にある罪が赦されます。そしてサタンの支配から解放されるのです。さらにイエスさまのご支配のもとに移されて、そこで愛によって守られ、育まれ、祝福されるようになります。

3.聖霊を汚す罪

イエスさまを信じる者はどんな罪も赦されます。ただし例外があります。それは聖霊を汚す罪です。そのような人は永遠に罪人としてさばかれることになります。聖霊は真理を告げて人に罪を知らせます。この聖霊をばかにして汚す者は、自ら罪を認めてイエスさまのもとに行くことができません。だから罪赦されることは永遠にないのです。私たちはイエスさまを信じた瞬間から、内に聖霊をいただきます。この聖霊を意識して歩むようにしていれば、決して聖霊を汚すことはなく、神さまの赦しの中にずっと居続けることができるのです。

2024225日 週報より

2024年2月18日日曜日

使徒と呼ばれた弟子たち

聖書箇所 マルコによる福音書313-19

そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 マルコによる福音書314-15

1.使徒と呼ばれた12

イエスさまは12人の弟子を任命し、「使徒(派遣された者の意)」と呼ばれました。彼らにはイエスさまの十字架の死と復活、またそこにある福音(良い知らせ)を人々に宣べ伝えていく重要な役割がありました。彼らは無学なただの人たちでしたが、神さまを誇ることができました。自分たちが神さまの前に無きに等しい者であると自覚できたからです。イエスさまはそんな彼らを「使徒」として選ばれたのです。

2.イエスさまがされた三つのこと

イエスさまは彼らに、①自分のそばに置くこと、②宣教に遣わすこと、③悪霊を追い出す権威を与えることの三つをなされました。彼らの信仰は、イエスさまに倣うことで成長しました。そして福音を宣べ伝えるための訓練として、悪霊追放の権威とともに宣教に遣わされました。彼らはそこで神さまを信頼し、神さまに頼ることを学びました。

3.イエスさまのそばに置かれた弟子たち

使徒たちの日々は、信仰の中に生活のすべてがある状況でした。私たちがここから学ぶのは、使徒と同じ生活をすることではありません。私たちの目の前に起こること全てに神さまの御手が働かれていることを受け入れることなのです。私たちの信仰の入り口は、自分の思いどおりになることを願うものであったかもしれません。しかし自分の思い通りではなくても、それが神さまのご計画であり、私たちの最善となることを教えられています。神さまの御心を求め、神さまが喜ばれる選択をしようと願う信仰者であるように、そのためにも神さまを信頼し、神さまに頼るように神さまは私たちに望まれています。

2024218日 週報より