2023年5月14日日曜日

母の日に

聖書箇所 マタイによる福音書2020-23

肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。                エペソ人への手紙23

1.ヤコブとヨハネの母

イエスさまの弟子のヤコブとヨハネの母が、息子たちの願いをかなえようとイエスさまにお願いしています。母親は息子たちの願いをかなえてやりたい一心で、どんな犠牲をも払う覚悟だったでしょう。母の日は、アメリカの教会で始まり、日本でも定着しました。自分のことは脇において、私たち以上に私たちのことを考えてくれるお母さんに心からの感謝をいたしましょう。

2.母親を敬うこと

人と人との正しいかかわりについて、聖書はまず「あなたの父と母を敬え」と言います。でも母親との関係が良くない場合は、どうやって敬うことができるでしょうか。私たちのいのちは神さまによって与えられました。私たち11人は、「あなたは高価で尊い」と神さまが言われるほどに神さまに愛されています。神さまは私たちがその愛を受け入れ、また私たちのいのちのために神さまが置かれた母親をも受け入れて、愛し敬うことを望んでおられます。

3.慰めてくださるイエスさま

それでも母親を受け入れられない、敬えないという方もおられるかもしれません。聖書は、私たち誰もが神さまの前に罪ある者であり、神さまの怒りの対象だと言います。そして何かにつけて腹立たしく思う私たちの怒りも罪が大きく影響しています。十字架にかかり、死んでよみがえられたイエス・キリストは私たちの罪を赦す救い主です。そのイエスさまは、あなたの罪を赦すだけではなく、あなたのすべてを受け入れてあなたの痛みや傷を癒し、慰めを与えてくださいます。

2023514日週報より 

2023年5月7日日曜日

信仰者の不信仰

聖書箇所 ペテロの第一の手紙26-8

見よ、わたしはシオンに、 選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない。             ペテロの第一の手紙26

1.かなめ石イエスさまに頼る

ペテロは小アジアのキリスト者たちに、「神さまがあなたがたのためにかなめ石であるイエスさまを置かれた。」と言います。そして「イエスさまに信頼すれば、どのような困難をも乗り越えさせてくださり、安心して歩める。」と伝えます。私たちは困難や苦しみがあればあるほど自分で何とかしようと思いやすい者です。しかしどんな時もイエスさまに頼って歩む大切さが教えられています。

2.信仰者の中の不信仰を知る

当時のユダヤ教の指導者たちは、神さまのお心ではなくて自分たちの考えや思いに従って歩もうとしたので、イエスさまが邪魔になりました。ここでペテロは小アジアのキリスト者たちの中に、当時の指導者たちのような不信仰な者がいると指摘したかったのではありません。どんな信仰者の中にも自分の思いを優先し、イエスさまから心を離れさせる不信仰な部分があることを指摘して注意を促しているのです。

3.不信仰の芽を摘む

イスカリオテのユダはイエスさまに付き従いながら、不信仰の部分をそのままにしていました。そしてやがてイエスさまにつまずきます。私たちは自分の思い通りになることだけを願わずに神さまのお心をいつも気にかけて歩む必要を教えられています。自分の思いだけに頼って進んでいかずに立ち止まって静まりましょう。そして、神さまのお心だけがこの身になるようにと願う祈りを意識して、不信仰の芽を摘みながら歩むことを教えられています。

202357日週報より 

2023年4月30日日曜日

主の晩餐を守る

聖書箇所 コリント人への第一の手紙1123-29

だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。 コリント人への第一の手紙1126

1.渡される夜

23節の「渡される夜」とは、イエスさまが十字架にかけられる前夜です。この時、イエスさまと弟子たちは過越の食事をしていました。過越は、羊の血によって神さまの災いが通り過ぎた神さまからのお恵みです。イエスさまはこのあと、ご自身の血が十字架で流されること、それを自分の罪の赦しのためと信じた者には、神さまの怒りが過ぎ去ることを示されました。私たちは過越から十字架の意味を良く理解して、主の晩餐により神さまのお恵みを思い起こします。

2.わたしのからだ

イエスさまはご自身がいのちのパンだと言われます。イエスさまを天からのいのちのパンとして食べる者は、神さまのいのちで永遠に生きるのです。主の晩餐のパンで、神さまのいのちに生かされ続けることへの感謝を覚えます。また、私たちが受けるべき罪の罰を代わりに十字架で受けて、痛み苦しんだイエスさまに感謝をささげます。

3.わたしの契約の血

「わたしの血による新しい契約である」とのお言葉の意味は、信じた者がイエスさまのおからだの一部とされるお恵みのことです。杯を飲むことで、イエスさまと一つであるお恵みを覚えます。また十字架で流された血によってこれから犯す罪や、知らずに犯す罪をも赦されるお恵みに感謝します。私たちは主の晩餐のたびに自分を吟味して、必要な悔い改めをし、この晩餐を受け取ります。そして、イエスさまが再び来られるまで、教会としてイエスさまを指し示し続けます。

2023430日 週報より