2024年3月31日日曜日

イエスさまの復活を信じる

聖書箇所 マルコによる福音書16章9-20

弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。      マルコによる福音書1620

1.復活を信じられなかった弟子たち

マグダラのマリヤと二人の弟子たちは、復活されたイエスさまにお会いしたことを他の弟子たちに話します。しかし、誰も本気にしませんでした。イエスさまは、弟子たち全員の集まる場に現れることはされませんでした。それは弟子たちの「見ないで信じる信仰」を育み、彼らが目に見えない神さまの恵みを受け取るようになるためでした。

2.復活を信じる難しさ

復活を事前に聞いていた弟子たちもなかなか信じられませんでした。人がイエスさまの復活を受けとめることの難しさが分かります。ところで、復活があり得ないと思えても、多くの人が見て経験している事実があれば、それは実際に起きた確率が高いという結論になると唱えた数学者がいました。実は今、この理論の正しさが証明されて、世の中で盛んに応用されています。イエスさまの復活が事実だと科学的にも言えるということでしょう。そして復活のイエスさまを信じる者が、神さまの愛と喜びと平安に満たされて歩めることも事実です。

3.復活の証人とされた弟子たち

イエスさまは復活をなかなか信じようとしなかった弟子たちを、ご自身の復活の証人として用いられます。彼らを通して、良い知らせ<福音>を全世界に伝えるようにされたのです。イエスさまは、弱い者を弱いまま、足りない者を足りないまま、不信仰でかたくなな者を不信仰でかたくななまま受け入れてくださいます。そして一人一人を責任を持って育て、導いてくださいます。こうして信じた者を復活の証人とし、人々を救いに導くために用いてくださるのです。

2024331日 週報より 

2024年3月24日日曜日

自分にもあるみにくい心

聖書箇所 マルコによる福音書1516-20

こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。      マルコによる福音書1520

1.イエスさまをからかった兵士たち

兵士たちは、イエスさまに王の格好をさせ、いばらのかんむりをかぶせ、紫の衣をはぎ取り、葦の棒で頭を叩き、つばきを吐きかけます。自分の快楽のために人へのいたぶりを楽しむという彼らのみにくい心があらわになっています。聖書はこれが人間の本質であると示しています。罪は人を思いやる心を失わせ、自分の快楽のためにどこまでも残忍でみにくくなれる心を引き出すのです。

2.口を開かれなかったイエスさま

兵士たちの軽べつやからかいも神さまのご計画でした。イエスさまはそれをご存じでしたので抵抗されませんでした。ここで見られる兵士たちの言動は、私たちの中にもある罪の姿です。イエスさまは、そんな私たちの罪を受け入れて、苦しんでくださいました。そして私たちのみにくい心が、神さまの愛に満たされるようにと黙って耐えてくださいました。私たちの中にもある兵士たちと同じ心を見つめながらもいのちをささげてくださるほどに愛なるお方がイエスさまです。

3.みにくい心と自己中心

救いのみわざによってイエスさまは、私たちをみにくい心からも自由にしてくださいました。みにくさは私たちの自己中心の罪からくるものです。この世に生きる私たちには、自己中心が染みついているので、そこから出る悪い心にも気づき難いのです。しかしイエスさまは、自己中心の思いを神さま中心の思いに変えてくださいます。もしみにくい心が出てきても、信じた私たちはその心をまるごとイエスさまに明け渡すことで、みにくさから解放されるのです。

2024324日 週報より

2024年3月17日日曜日

百倍の実を結ぶ種と土

聖書箇所 マルコによる福音書413-20

また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。       マルコによる福音書420

1.良い地とされた人の役割

イエスさまは弟子たちに先のたとえ話を詳しく話されます。それはみ言葉が語られた時に人々が示す四種類の反応でした。イエスさまは弟子たちに、「あなたがたがみ言葉を語る時が来ます。その時、人々が四番目の反応をして、み言葉を信じて受け入れ、わたし(イエス)の弟子として歩めるように助けなさい。」と伝えておられます。

2.み言葉が良い地を保つ

人々がイエスさまの弟子となるように助けるには、自分自身がたとえの4番目の人として実を結ぶことが大事です。それにはみ言葉の力を信じて受けとめ、御霊を意識して御霊に助けをいただくことが必要です。農作物が自然の影響を受けるように、私たちもこの世の影響を常に受けます。この世は御霊の働きを弱めて、良い地である私たちの環境を悪くします。そうならないためにもみ言葉が大切です。み言葉は種として実るだけでなく、良い地を保つ力ともなるのです。

3.種の力を信じる

信仰者にまかれたみ言葉の種が実を結ぶので、私たちは喜びにあふれ、勝利の人生を歩むことができます。土そのものが立派になるのではありません。しかし霊の目で見れば、み言葉の種が驚くべき実を結んでいることが見えてきます。自分で分からなくても、他の人から見れば、教会に来始めたころと今では大きく違っていることが肉の目にも明らかでしょう。信仰者は霊で聞きます。知恵や記憶力に優れていなくても、年老いていても、霊の実は確実に結ばれます。み言葉の種の力を確信して、ますますみ言葉をいただいて歩みましょう。

2024317日 週報より