2024年4月14日日曜日

危機的状況への対処

聖書箇所 マルコによる福音書435-41

そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。              マルコによる福音書438

1.おびえた弟子たち

激しい突風で舟が沈みそうになり、弟子たちは皆おびえました。それは、イエスさまが眠っておられたからです。「私たちが死んでもイエスさまは平気なのか」と弟子たちは思いました。またイエスさまでもこの嵐はどうにもできないと考えました。さらに舟に乗るように言われたイエスさまを責める気持ちがありました。そしてイエスさまを信じる信仰を働かせることができなくなり、おびえたのです。

2.イエスさまへの不満

問題は状況を恐れることではなく、恐れる状況にあって神さまに不満を持ち、文句を言おうとする心でした。不満がつのれば、イエスさまが守り最後は良しとしてくださると信じる心が働かなくなります。置かれた状況がいかに厳しくても「御手の中から引き離されることは絶対にない、イエスさまが最後まで責任をもって導いてくださる」と信じて信仰を働かせることができるかが問われています。

3.イエスさまとともに

危機的状況で信仰を働かせるには、イエスさまに完全にお委ねすることです。自分の無力さを覚える中で、「無に等しい私をただイエスさまが支えてくださっている」と感じ入るのです。そして「イエスさまが私のいのちを握ってくださっている」と確信し、イエスさまに信頼して一歩踏み出します。そうすれば共にいてくださるイエスさまが、すべてを一緒に背負って、いつの間にか乗り越えさせてくださいます。「イエスさま、信じます。無に等しい私ですからともに歩ませてください。」これが委ねて歩むことであり、信仰の働かせ方なのです。

2024414日 週報より 

2024年4月7日日曜日

祝福とは

聖書箇所 マルコによる福音書421-34

また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。                        マルコによる福音書421

1.「あかり」のたとえ

神のご支配(守りと導き)にある者は光の子です。光である神さまの愛・喜び・平安とともにある幸いを味わう者です。この幸いを隠すのではなく、証しする「あかり」となることが望まれています。それは神さまの偉大さ、愛の深さ、あわれみの大きさを示して、その素晴らしさや喜びを明らかにすることです。これが弟子としての役割です。

2.「はかり」のたとえ

この「はかり」は天秤ばかりです。一方のお皿で量った分量に応じて、もう一方の重さが決まります。私たちの神さまへの信頼度、つまり、み言葉への信頼の分量に応じて、私たちに釣り合うみ言葉の力が与えられるのです。少ないならば少なく、多ければ多く応じてくださるだけでなく、神さまはあわれみにより、見合う分以上に与えてくださるのです。しかし神さまを信頼できない者は、わずかな喜びも取り上げられてしまうことになるのです。

3.育つ種とからし種のたとえ

この二つのたとえは一つの事柄について語られています。私たちには、神さまのみ言葉が自分の中でどのように働き、成長するかはよく分かりません。しかし小さなからし種が大きな木になるように、私たちの中で驚くほどに成長したみ言葉の実となるというのです。

み言葉に信頼する者にみ言葉どおりに、さらにプラスされてその力が実現すること、これが神さまの祝福です。そして祝福によってその実は、小さなからし種が大きな木になるほどに大きくなります。そのことによって私たちは神さまを証しする「あかり」とされるのです。

202447日 週報より

2024年3月31日日曜日

イエスさまの復活を信じる

聖書箇所 マルコによる福音書16章9-20

弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。      マルコによる福音書1620

1.復活を信じられなかった弟子たち

マグダラのマリヤと二人の弟子たちは、復活されたイエスさまにお会いしたことを他の弟子たちに話します。しかし、誰も本気にしませんでした。イエスさまは、弟子たち全員の集まる場に現れることはされませんでした。それは弟子たちの「見ないで信じる信仰」を育み、彼らが目に見えない神さまの恵みを受け取るようになるためでした。

2.復活を信じる難しさ

復活を事前に聞いていた弟子たちもなかなか信じられませんでした。人がイエスさまの復活を受けとめることの難しさが分かります。ところで、復活があり得ないと思えても、多くの人が見て経験している事実があれば、それは実際に起きた確率が高いという結論になると唱えた数学者がいました。実は今、この理論の正しさが証明されて、世の中で盛んに応用されています。イエスさまの復活が事実だと科学的にも言えるということでしょう。そして復活のイエスさまを信じる者が、神さまの愛と喜びと平安に満たされて歩めることも事実です。

3.復活の証人とされた弟子たち

イエスさまは復活をなかなか信じようとしなかった弟子たちを、ご自身の復活の証人として用いられます。彼らを通して、良い知らせ<福音>を全世界に伝えるようにされたのです。イエスさまは、弱い者を弱いまま、足りない者を足りないまま、不信仰でかたくなな者を不信仰でかたくななまま受け入れてくださいます。そして一人一人を責任を持って育て、導いてくださいます。こうして信じた者を復活の証人とし、人々を救いに導くために用いてくださるのです。

2024331日 週報より