主と一つの霊で歩む
聖書箇所 コリント人への第一の手紙6章12-20節
しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。Ⅰコリント6章17節
1.キリスト者の自由
コリントの人々は「キリスト者の自由」を、自分の好きなように生きてよいという意味に取り違えていました。しかしパウロは、罪に振り回されるのは自由ではないと言っています。本当の自由とは、罪から解放され、聖霊に導かれて歩むことです。肉の思いで世的なものにとらわれて、右往左往する状況は真の自由とは言えません。
2.神に用いられる道具
私たちのからだはもともと、罪に用いられる道具でした。しかしキリストのいのち(十字架の犠牲)によって、神さまに用いられる道具へと変えられたのです。そのからだを不品行に用いることは、神さまが尊い犠牲で買いもどしてくださったからだを汚すことになるのです。信じた私たちのからだは、神さま用の道具というだけでなく、すでにキリストのからだの一部分とされているのです。
3.主(神)と一つの霊
「食物は腹のため、腹は食物のためである」とは両者の密接な関係を示す例として取りあげられています。それと同じように、イエスさまを信じて救われた私たちのからだは、主である神さまのものとされて切り離すことのできない関係だというのです。「主と一つの霊」とされている私たちのからだは、不品行のためではなく、主である神さまのためにあります。それぞれのせいいっぱいで、自分の全存在を神さま用として差し出して、できることを忠実になしていく、これが神さまの栄光を現す生き方となるのです。
2026年3月8日 週報より