2025年6月15日日曜日

尊敬される父とは

聖書箇所 出エジプト記2012節、創世記151-6節、13-16

アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。  創世記156

1.神さまのルール

聖書は「父と母を敬う」ことを神さまの命令として私たちに伝えています。神さまは、ルールに従いなさいと言うだけではなくて、出来るように導きと力を私たちに与えてくださいます。では尊敬される父となるにはどのようにすれば良いでしょうか。聖書の中で信仰の父と言われるアブラハムについて見ていくことにしましょう。

2.アブラハムの信仰

アブラムもいつも神さまに従い歩めたわけではありませんでした。自分の嘘によって彼の妻がエジプト王の妻にされそうになったりもしました。しかしその都度、心を改めて神さまのことばに従い直しました。やがて自分の思い以上に神さまのことばを優先し、信じる者へと変えられていきます。そして神さまの祝福を受け、信仰の父と呼ばれるようになりました。私たちも神さまのことばを重んじて優先していくことで、神さまからの祝福が与えられます。

3.人からの尊敬

アブラハムは普通の人で失敗もありました。でもすぐに改めて神さまのことばを握りしめて歩んでいきます。そうすることで神さまから契約を結ばれるほどに信頼されるようになりました。神さまに信頼され用いられる人は、周りの人からも厚い信頼と尊敬を得ることができます。自分の考え以上に神さまのことばである聖書に従う人、また従いたいと願い続ける人は、神さまからも人からも信頼されていきます。そしてアブラハムのように尊敬される父(尊敬される人)となることができるのです。

2025615日 週報より

2025年6月8日日曜日

イエスさまの深い悲しみ

聖書箇所 マルコによる福音書1432-34

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。マルコによる福音書1434

1.祈りの依頼

イエスさまは「悲しみのあまり死ぬほど」と弟子たちに言われます。そしてあなたがたの祈りで支えて欲しいと願われました。その人の立場に立って祈る祈りがとりなしの祈りです。とりなす人を通して、神さまの力が祈られる相手に働きます。そして霊を励まし、力づけ、大きな戦いをも乗り越える力を与えます。イエスさまはこのとりなしの祈りを弟子たちにお願いされたのです。

2.死ぬほどの悲しみ

イエスさまは、「悲しみのあまり死ぬほど」に悩み苦しまれていました。それは単に十字架による死への恐れではありませんでした。イエスさまは父なる神さまとは互いに愛し合う親子の関係です。しかしイエスさまが全人類の罪を負って罪人となることで、罪を嫌う神さまからこの上もなく憎まれます。親子の関係が絶ち切られて、罪の罰として十字架で死に追いやられるのです。これがイエスさまにとって身を引き裂くような悲しみとなっていました。

3.弱弱しい姿

私たちはイエスさまの弱弱しく見える姿から、自分の罪の大きさを見て心に刻む必要があります。また同時に私たちに向けられているイエスさまの大いなる愛を見るのです。深い悲しみでこれ以上ない弱さを経験されたイエスさまは、私たちのすべての弱さをご存知です。そのイエスさまが、今日も明日もいつまでも私たちを最善に導いてくださいます。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない」という約束を握りしめて、イエスさまと共に歩みましょう。

202568日 週報より


2025年6月1日日曜日

私の弱さを知る神

聖書箇所 マルコによる福音書1426-31

しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に ガリラヤへ行くであろう」。マルコによる福音書1428

1.散らされる羊

イエスさまは、「羊飼いであるわたし(イエス)を神さまが打たれることによって、羊である弟子のあなたがたは散り散りにされる」と言われました。この先弟子たちが皆、イエスさまを置いて逃げてしまうことを予告されているのです。それでも尚、弟子たちをあわれまれるイエスさまの愛の大きさがここで示されています。これは弟子たちが信仰にとどまり続けるための備えとなっているのです。

2.羊飼いなるイエス

イエスさまは、「よみがえってから先にガリラヤに行く」と言われています。また「わたしはあなたがたの弱さをすべて知っています。弱さゆえに散らされたあなたがたをわたしは決して責めません。あなたがたを訓練してきたあのガリラヤで待っています」と言われます。ここで集められた弟子たちは、大いに励ましを受けて、キリストの復活の証人として遣わされていきます。

3.羊の弱さを知る羊飼い

ペテロは自分の頑張りで乗り越えることができると信じて、「私は決してつまずきません」と言います。しかしイエスさまは、「今夜、三度わたしを知らないと言ってあなたも必ずつまずきます」と言われました。果たしてペテロはその通りに自分の弱さを痛感させられます。しかしすべてをご存じでいながら、愛し続けてくださっているイエスさまを思い起こして、イエスさまに立ち帰るのです。私たちも「主のあわれみと愛によって、弱い自分が信仰の歩みを続けられているのだ」といつも心にとどめておくことが大切です。

202561日 週報より