不信仰をさとる
聖書箇所 マルコによる福音書9章14-29節
イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。 マルコによる福音書9章23節
1.嘆かれたイエスさま
父親は息子から悪霊を追い出してもらいたい一心で、イエスさまを待てずに弟子たちに願い出ていました。父親が息子を思ってのことで、一見、神さまが悲しまれるような不信仰には見えません。しかしこの時の父親は、自分たちの状況がよくなることだけで心がいっぱいでした。父親の心が肉の思いでおおわれて、イエスさまから離れていることをイエスさまは見ておられたのです。
2.悔い改めた父
「できませんでした(9:18)」からは、これまでのこの父親の強い期待と信頼が、失望と落胆に代わった様子が見てとれます。父親は弟子たちへの失望をそのままイエスさまに対する失望として、自らを不信仰に追いやりました。しかし、イエスさまのお言葉(9:23)によって、自分の愚かな不信仰の姿に気づき、悔い改めて「不信仰なわたしを、お助けください(9:24)」と叫んだのでした。
3.不信仰に気付かない弟子たち
弟子たちは不服そうに「どうして霊を追い出せなかったのですか(9:28)」と聞いています。この不満が不信仰なのです。神さまが、私たちを通してみわざをなしてくださると信じることは、不信仰ではありません。しかし自分たちが思い描いた通りになるように期待し、神さまに要求することは違います。弟子たちは神さまがいつでも自分たちを通して悪霊を追い出すみわざをしてくださると思い込んでいました。それが不信仰だということにこの時の弟子たちは、気づいていなかったのです。そこでイエスさまは、弟子たちにまず祈って気づくように(9:29)と言われていたのです。
2024年9月22日 週報より