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2026年9月13日日曜日

霊と知性によって

聖書箇所 コリント人への第一の手紙14章1-19節

異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。Ⅰコリント14章4節

1.自分か教会か

パウロは、御霊の賜物を自分の霊的満足のためではなく、教会全体の益のために用いるよう教えます。異言は解き明かしがなければ他者には理解されず、個人を益するにとどまります。一方、預言は人に分かる言葉で神の御心を伝え、人を励まし育てます。大切なのは自分の満足ではなく、与えられた賜物が教会の益となり、教会が建て上げられていくことなのです。

2.だれのための賜物か

コリント教会では、異言を語ることが霊的な姿として重んじられていました。しかし理解できない言葉のままでは、初心者や周囲の人を育てることができません。教会全体の益のためには理解できる言葉が必要です。だからパウロは、多くの異言よりも、知性によって語られるわずかな言葉の方が群れを建て上げると言うのです。

3.霊でも知性(理解できる言葉)でも

霊的成長のためには霊だけでなく、み言葉によって聖められた知性も必要です。神のみ心を霊で受け、それを知性によって理解できる言葉として伝えます。そして聞く者も知性をもって受け取ることで、その真理が霊にとどまり、人と教会が建て上げられていくのです。私たちは神さまからいただいた恵みを理解し、み言葉によって確かめ、それを愛の心をもってお互いにわかることばで兄弟姉妹と分かち合うのです。そうしてお互いの証しによって神さまのみ心を学び、共にキリストのからだを建て上げていくことができるのです。

2026年9月13日 週報より

2026年8月23日日曜日

御霊に目を向けて

聖書箇所 コリント人への第一の手紙12章1-11節

各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。Ⅰコリント12章7節

1.注目された異言

コリント教会では、御霊ご自身よりも、目に見える特別な賜物である異言に注目し、それを立派な信仰のしるしとして誇る傾向がありました。そこには、異教時代の「神がかり的な状態を尊ぶ」古い感覚も影響していたと考えられます。私たちも奉仕や賜物を人と比較することなく、御霊の内住を喜び、キリストの十字架だけを誇る者でありたいと教えられています。

2.御霊の賜物

御霊の賜物は、自分を誇るためではなく、「全体の益となるため」に御霊が一人一人に与えてくださる恵みです。大切なのは「私は何ができるか」ではなく、「主が私を用いて、誰かをキリストに近づけ、群れの成長のために用いてくださっている」と受け止めることです。賜物に注目するのではなくて、御霊に目をむけて、御霊に導かれて互いに仕え合うことが求められています。

3.内住の御霊

御霊は一人一人の内に住み、私たち信仰者を群の中で成長し合うように導かれます。教会全体の成長を重んじて御霊は働かれるのです。私たちは自分の賜物を誇るのではなく、御霊に変えられ、群れの益のために用いられる神さまの道具となることが大切です。私たちは肉の思いに支配される古い皮袋ではなく、御霊に導かれる新しい皮袋です。そこに新しいぶどう酒が満たされるのです。それが、キリストを主とし、愛をもって賜物を用いて歩む信仰者の姿です。

2026年8月23日 週報より