2025年6月22日日曜日

祈りで勝利されたイエスさま

聖書箇所 マルコによる福音書1435-36

「どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」マルコによる福音書1436

1.地にひれ伏す

イエスさまは罪ある私たちの身代わりとなり、罪人として父なる神さまに裁かれます。互いに愛し合う親子の関係が絶ち切られることへの苦しみと悲しみに押しつぶされそうになって、イエスさまは倒れ込むようにして祈られました。私たちの罪に対する神さまの懲らしめがいかに重く、その苦痛がいかに大きいかを示されています。

2.人の弱さを知る

イエスさまは、神の力あるわざをなされ、霊に満ち堂々と歩んで来られました。しかし神であり人でもあるイエスさまは、ここで人としての限度を超える悲しみを経験されます。そして弱さを覚え、父なる神さまにすがっておられます。それゆえイエスさまは、私たち人の弱さを思いやることがおできになります。私たちの弱さをこのイエスさまにお委ねいたしましょう。

3.祈りで勝利する

イエスさまの中には、他の方法にして欲しいという自分の思いと、神であるあなたのみ心に従いたいという二つの思いがありました。イエスさまは祈りの中で聖霊の導きを受け、最終的に祈りによって自分の思いに勝利されます。「神さまのみ心に従います」との告白に至るのです。神さまは、私たちの祈りにならないようなつぶやきやうめきも聞いてくださいます。父なる神さまにまっすぐに向き合い、イエスさまの支えと聖霊の助けを確信して祈りましょう。そうすれば、私たちにも必ず祈りによる勝利が与えられます。

2025622日 週報より

2025年6月15日日曜日

尊敬される父とは

聖書箇所 出エジプト記2012節、創世記151-6節、13-16

アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。  創世記156

1.神さまのルール

聖書は「父と母を敬う」ことを神さまの命令として私たちに伝えています。神さまは、ルールに従いなさいと言うだけではなくて、出来るように導きと力を私たちに与えてくださいます。では尊敬される父となるにはどのようにすれば良いでしょうか。聖書の中で信仰の父と言われるアブラハムについて見ていくことにしましょう。

2.アブラハムの信仰

アブラムもいつも神さまに従い歩めたわけではありませんでした。自分の嘘によって彼の妻がエジプト王の妻にされそうになったりもしました。しかしその都度、心を改めて神さまのことばに従い直しました。やがて自分の思い以上に神さまのことばを優先し、信じる者へと変えられていきます。そして神さまの祝福を受け、信仰の父と呼ばれるようになりました。私たちも神さまのことばを重んじて優先していくことで、神さまからの祝福が与えられます。

3.人からの尊敬

アブラハムは普通の人で失敗もありました。でもすぐに改めて神さまのことばを握りしめて歩んでいきます。そうすることで神さまから契約を結ばれるほどに信頼されるようになりました。神さまに信頼され用いられる人は、周りの人からも厚い信頼と尊敬を得ることができます。自分の考え以上に神さまのことばである聖書に従う人、また従いたいと願い続ける人は、神さまからも人からも信頼されていきます。そしてアブラハムのように尊敬される父(尊敬される人)となることができるのです。

2025615日 週報より

2025年6月8日日曜日

イエスさまの深い悲しみ

聖書箇所 マルコによる福音書1432-34

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。マルコによる福音書1434

1.祈りの依頼

イエスさまは「悲しみのあまり死ぬほど」と弟子たちに言われます。そしてあなたがたの祈りで支えて欲しいと願われました。その人の立場に立って祈る祈りがとりなしの祈りです。とりなす人を通して、神さまの力が祈られる相手に働きます。そして霊を励まし、力づけ、大きな戦いをも乗り越える力を与えます。イエスさまはこのとりなしの祈りを弟子たちにお願いされたのです。

2.死ぬほどの悲しみ

イエスさまは、「悲しみのあまり死ぬほど」に悩み苦しまれていました。それは単に十字架による死への恐れではありませんでした。イエスさまは父なる神さまとは互いに愛し合う親子の関係です。しかしイエスさまが全人類の罪を負って罪人となることで、罪を嫌う神さまからこの上もなく憎まれます。親子の関係が絶ち切られて、罪の罰として十字架で死に追いやられるのです。これがイエスさまにとって身を引き裂くような悲しみとなっていました。

3.弱弱しい姿

私たちはイエスさまの弱弱しく見える姿から、自分の罪の大きさを見て心に刻む必要があります。また同時に私たちに向けられているイエスさまの大いなる愛を見るのです。深い悲しみでこれ以上ない弱さを経験されたイエスさまは、私たちのすべての弱さをご存知です。そのイエスさまが、今日も明日もいつまでも私たちを最善に導いてくださいます。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない」という約束を握りしめて、イエスさまと共に歩みましょう。

202568日 週報より