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2026年7月26日日曜日

すべて神の栄光のため

聖書箇所 コリント人への第一の手紙1023-111

だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。コリント1031

1.他の人のことも

キリスト者には、キリストによって罪から解放された自由があります。しかし、その自由を自分のためだけに使うのではなく、自分の言動が周りの人にどのような影響を与えるかを考えることが大切です。「他の人の益」をも求める歩みは人の力には難しいことです。それでもキリスト者は聖霊によって、自分中心の思いから解放され、他の人を愛し、その人のために考えられるようになります。

2.パウロの示す具体例

ここでパウロは、具体的に教えています。通常の市場で売られているものは、神に感謝して受け取れます。しかし、偶像礼拝と明らかに結びついたものは避けなければなりません。また、食事に招かれた時も、相手の良心をつまずかせないように配慮します。自分にとって問題がなくても、相手が誤解したり、つまずいたりするようならば、愛の配慮をもって自分の自由を制限するのです。

3.神の作品として

私たちは神さまの栄光を現す神の作品としてつくられました。しかし、罪が作品を壊してしまったのです。神さまはそんな私たちを、キリストの十字架によって救い、聖霊によって神の作品として日々造り変えてくださっているのです。なので「これは神の栄光を現すか」「これで人にキリストを見てもらうことができるか」と問いながら歩みましょう。罪から解放された主にある自由の中で神さまの栄光を現わすことこそが、キリストにならう者としての歩みなのです。

2026726日 週報より