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2026年7月19日日曜日

主の食卓につく者

聖書箇所 コリント人への第一の手紙1014-22

主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。Ⅰコリント1021

1.霊的意義

聖餐ではパンと杯を通してキリストと一つにされ、教会が一つのからだであることを確認します。これは神さまと自分の関係性つまり霊的意義の確認です。同様に偶像にささげられたものをいただくことで、悪しき霊との霊的意義が生じます。なのでパウロは「偶像礼拝を避けなさい」と勧めています。私たちは目に見えることだけでなく、この霊的な視点を大切にするように求められています。

2.悪霊の存在

偶像そのものには力はありません。しかし、その背後には悪霊の働きがあります。神さまを信じる私たちは、聖霊の内住や、キリストとの結びつきを信じています。それと同様に偶像礼拝に加われば、気づかないうちに悪霊と結びつく危険があります。この霊的な現実を軽く見てはいけないとパウロは警告しています。

3.主の食卓と悪霊の食卓

私たちは主の食卓と悪霊の食卓に同時につくことはできません。お金や、趣味、スマートフォン他どんなものでも神さまより一番にすれば、それらが偶像となり悪霊の食卓につくことになります。もしそうであれば、勇気をもってそこから離れ、主の食卓に向かうことが大切です。主の食卓には、神さまからの祝福があり、試練の中でも決して見放されずに最後まで支え導いてくださるとの確信と平安があります。この主の食卓を守って主とともに歩み続けましょう。

2026719日 週報より

2024年10月27日日曜日

神の国にはいる人

聖書箇所 マルコによる福音書1013-16

よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない。                                         マルコによる福音書1015

1.子供と親を戒めた弟子たち

弟子たちは、幼な子をイエスさまのもとに連れてきた人々(おそらく父親たち)に注意します。当時の社会は子供を価値のない、やっかいものと見ていました。まだ一人の人格として認められておらず、未熟な人間とされていました。弟子たちの目にも子どもはイエスさまから祝福をいただく価値のない存在に映っていました。そこで何の疑問をも持たずに、イエスさまをわずらわせないようにと彼らに注意を与えたのです。

2.激しく叱られた弟子たち

しかし弟子たちはイエスさまから激しく叱られます。イエスさまは、子供たちの信仰が育まれていくことの必要を見ておられたからです。神の国に受け入れられる大人も同じです。信仰は、世の常識や固定観念に縛られた大人のかたくなな心ではなくて、子供のように素直な心で受け止めることが大切です。そうすれば神さまによって祝福されて、信仰が育てられていくのです。

3.世的な考えに縛られた弟子たち

この世的な考えや認識だけでいっぱいになっている状況だと、霊的な知恵を悟ることもまた、それを素直に受け入れることもできなくなります。そうならないためにも信仰者には聖霊が与えられています。神さまがみ言葉によって、聖霊の働きを通し、世の常識とは違う神さまのお心に気づかせてくださるのです。まだまだ霊的には幼な子のように未熟だと認めて、イエスさまに頼る者を神さまはご自身の神の国に招き入れてくださるのです。

2024102427日 週報より