2024年10月6日日曜日

☆ 10月6日(日)は、つくばバイブルバプテスト教会の小泉崇牧師夫妻をお招きし、特別集会~聖書とバイオリン賛美のひとときが開催されました。

礼拝

捜し求める神

つくばバイブルバプテスト教会 小泉崇牧師

1.聖書箇所【ルカによる福音書158-10節】

15:8 また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。

15:9 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。

15:10 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。 

午後賛美集会

賛美は麗しい

つくばバイブルバプテスト教会 小泉崇牧師

1.聖書箇所

【詩篇1471-3節】

147:1 主をほめたたえよ。われらの神をほめうたうことはよいことである。主は恵みふかい。さんびはふさわしいことである。

147:2 主はエルサレムを築き、イスラエルの追いやられた者を集められる。

147:3 主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。


2024年9月29日日曜日

誰が一番偉いか

聖書箇所 マルコによる福音書930-37

しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。       マルコによる福音書932

1.二度目の受難予告

イエスさまはここでもう一度、ご自身の受難について弟子たちに教えられています。しかし弟子たちはイエスさまの言葉を真剣に受けとめず、尋ねもしませんでした。それが彼らの期待とは全く違う、受け入れ難い内容だったからです。しかしこのようなことは肉の思いから来るもので、霊が育てられる機会を自ら手放すことになります。霊的な導きに気づいたならば、無視や拒否ではなく、素直に従うことが大切です。それが神さまに喜ばれ、祝福をいただく道だからです。

2.一番偉い弟子は誰か

受難予告の話題を避けて、弟子たちは「誰がイエスさまの次の位に就くのか」という肉の欲を満足させる話で盛り上がります。イエスさまは、そんな弟子たちを正しい霊的判断ができるように導かれています。「神さまに一番高いと見られたかったら、肉の目で一番低い人になって、仕えなさい」と教えます。さらに子供を受け入れることが、わたし(イエス)と父なる神を受け入れることだと言われました。

3.霊が育てられる歩み

イエスさまは、当時社会的に無価値と見られていた子供を真ん中にして教えられました。これは私たちへの教えでもあります。たとえば、イエスさまの受難告知のように肉の思いでは受け入れ難いことが示されたとします。それでも主にあって子供たちを受け入れるように、肉の思いから離れて、示された霊的事実を受け入れるようにと言われているのです。それが、私たちの霊を育てるために神さまが用意されたものと信頼して、受けとめ、また受け入れていくのです。そうすれば、肉の思いから解放されて、霊が育てられる歩みとなります。

2024929日 週報より

2024年9月22日日曜日

不信仰をさとる

聖書箇所 マルコによる福音書914-29

イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。                                                                             マルコによる福音書923

1.嘆かれたイエスさま

父親は息子から悪霊を追い出してもらいたい一心で、イエスさまを待てずに弟子たちに願い出ていました。父親が息子を思ってのことで、一見、神さまが悲しまれるような不信仰には見えません。しかしこの時の父親は、自分たちの状況がよくなることだけで心がいっぱいでした。父親の心が肉の思いでおおわれて、イエスさまから離れていることをイエスさまは見ておられたのです。

2.悔い改めた父

「できませんでした(9:18)」からは、これまでのこの父親の強い期待と信頼が、失望と落胆に代わった様子が見てとれます。父親は弟子たちへの失望をそのままイエスさまに対する失望として、自らを不信仰に追いやりました。しかし、イエスさまのお言葉(9:23)によって、自分の愚かな不信仰の姿に気づき、悔い改めて「不信仰なわたしを、お助けください(9:24)」と叫んだのでした。

3.不信仰に気付かない弟子たち

弟子たちは不服そうに「どうして霊を追い出せなかったのですか(9:28)」と聞いています。この不満が不信仰なのです。神さまが、私たちを通してみわざをなしてくださると信じることは、不信仰ではありません。しかし自分たちが思い描いた通りになるように期待し、神さまに要求することは違います。弟子たちは神さまがいつでも自分たちを通して悪霊を追い出すみわざをしてくださると思い込んでいました。それが不信仰だということにこの時の弟子たちは、気づいていなかったのです。そこでイエスさまは、弟子たちにまず祈って気づくように(9:29)と言われていたのです。

2024922日 週報より