2025年1月26日日曜日

神のものを神に返す

聖書箇所 マルコによる福音書1213-17

するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。              マルコによる福音書1217

1.巧妙な策略

パリサイ人とヘロデ党の者たちが、「ローマ皇帝に納税してよいか」とイエスさまに尋ねます。もし「よい」と言えば、ローマの支配を認めユダヤの人々の反発を買います。逆に「いいえ」と答えれば、ローマ皇帝に敵対する者として訴えることができます。これはイエスさまを落としめるためのとても練られた策略だったのです。

2.デナリ銀貨

イエスさまの答えは、彼らが付け入る隙のないものでした。当時のデナリ銀貨にはローマ皇帝の肖像がありました。ユダヤの人々はその銀貨での納税は、皇帝を神とする不信仰だと考えていました。しかしイエスさまは「カイザルのものはカイザルに」と言われて、その考えを否定されました。イエスさまは彼らの策にはまらないためだけでなく、正しい信仰の在り方を教えておられたのです。

3.神のものは神に

イエスさまは彼らに対して、「あなたがたが神のものを神に返していないことが大きな問題である」と厳しい指摘をされているのです。では神にお返しするにはどうすればよいのでしょうか。それには、まずすべてが神さまによって与えられていると覚えて、神さまの前に立つことです。その上で聖霊の助けによって、何が神さまの御旨であるかを知り、神さまに喜ばれる選択をするようにします。これが神さまに栄光を帰して、神さまにお返ししていく歩みです。

2025126日 週報より

2025年1月19日日曜日

神のものを盗まない

聖書箇所 マルコによる福音書121-12

あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。                                                                マルコによる福音書1210

1.非難された指導者たち

ここでイエスさまはたとえ話をされます。ある土地に所有者がぶどう園を作ります。ぶどうを守る垣根をはり、設備も整えて、農夫を雇ってそこからいくらかの利益を納めてもらおうとします。しかし雇われた農夫たちは、全部自分たちのものにしようと所有者の息子を殺してしまいます。イエスさまは、この農夫こそが今の指導者たちの姿だとたとえ話を用いて非難されたのでした。

2.大切な石を捨てた指導者たち

指導者たちには、ユダヤの人々を神さまに忠実に歩めるように導いて育てる責任がありました。しかし彼らはたとえ話の中の農夫のように、主人である神さまに背を向けて歩んでいたのです。イエスさまはそんな彼らに、「あなたがたは、『隅のかしら石』であるわたしを殺すようになる」と彼らの中に恐ろしい心があることも明らかにされていました。

3.神から盗んでいた指導者たち

指導者たちは神さまから預けられた人々を自分たちのいいようにしていました。こうして神さまのものを盗んでいたのです。私たちが与えられている信仰の歩みは、神さま所有のぶどう園そのものです。よい実を結ぶように任せられているのです。その実はすべて神さまのものなのですが、私たちが自分たちのものとして受ける分も与えてくださっています。これが恵みです。この恵みに心から感謝していれば、神さまのものを盗むことがない歩みができるのです。

2025119日 週報より

2025年1月12日日曜日

神にある権威

聖書箇所 マルコによる福音書1127-33

それで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えた。するとイエスは言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」

                       マルコによる福音書1133

1.保身に走る指導者たち

イエスさまの言動の一つ一つは、祭司長たち指導者の権威を無視し、体制や組織を否定するものでした。そこで、彼らは、自分たちの立場を守るために、イエスさまを責めようとしました。人には自己保身に走る弱さがあります。すべて正しい神さまにお任せして、その弱さに流されない高潔さを持たせていただくことが大切です。

2.人を誇る指導者たち

指導者たちはイエスさまに対して「あなたは最高指導部から承認のないにせ者教師にすぎない」と問い詰めようとしました。組織は、人々を効率よく導くよい手立てとなるものです。しかし指導者たちの組織は神さまに仕えるという目的から外れていました。人の思いを満足させ、人を誇るものとなっていました。私たちも人だけに仕える教会になることのないように注意しておく必要があります。

3.追い込まれた指導者たち

指導者たちは追い込まれていました。ヨハネのバプテスマが神の権威によるとすれば、「なぜヨハネに従わなかったのか」と問われるでしょう。一方、人の権威だと言えば多くの民を敵にまわします。民の多くが、ヨハネにある神の権威を認めていたからです。彼らは、答えをごまかしました。私たちにも自分に都合の良い考えを信仰だとしてしまう弱さがあります。神の権威の前には自分の思いなど何の値もないと認めること、そして神さまに従わせてくださいと常に心から願い求めて、神の権威を恐れる歩みが大事なのです。

2025112日 週報より