2024年7月28日日曜日

祈りがこたえられる信仰

聖書箇所:マルコによる福音書724-30

すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。                       マルコによる福音書728

1.スロ・フェニキヤの女性

イエスさまは、ツロ(ローマの属州シリヤ)に行かれます。反発してくるパリサイ人や願いばかりを要求してくる群衆から一旦退かれました。彼らはまだ福音を受け入れられる状況ではありませんでした。しかし神さまから遠いはずの異邦人の地で、イエスさまはすでに福音を受け入れることのできる信仰の民を見ることになります。それがスロ・フェニキヤの女性でした。

2.小犬だと認めた女性

イエスさまのたとえで「子供」はユダヤ人のこと、そして「小犬」は、この女性を含む異邦人でした。イエスさまは「子供のものを、小犬にやるのは良くない」と女性の求めを拒否されました。しかし彼女は、自分を小犬だと認め、「子供たちが落としたパンくずをいただけたらそれで十分です」と答えます。そんな彼女に神さまのあわれみが注がれて、彼女の願い通り娘から悪霊が追い出されました。

3.信仰を引き出された女性

この女性は、冷たく突き放したかのようなイエスさまのお言葉に反発せずに、それなら小犬としてパンくずをいただけるとの信仰に導かれました。彼女はただ神さまのあわれみにすがるしかない者であることを自覚し、イエスさまの導きを素直に受け入れました。この女性のようにイエスさまは私たちをあらゆる機会を通して導き続けてくださっています。導きが必ずしも自分の思い通りではなかったとしても、素直に従うことで祈りがこたえられる信仰に立たせていただけます。それは神さまのお心にそった祈りのできる信仰者の姿です。

2024728日 週報より

2024年7月21日日曜日

パリサイ人の思い違い

聖書箇所 マルコによる福音書714-23

これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである。      マルコによる福音書723

1.人の本質

霊なる神さまに似せて造られた人の本質は霊です。しかしアダムとエバが罪を犯して以来、人の本質である霊は罪に支配されて、人は神さまに逆らい悪い方に傾くようになりました。パリサイ人たちは、罪に支配された状態でも律法の定めを守っていれば神さまの前にきよいとされて受け入れられると考えていました。しかし彼らはその出発点に問題があることに気づいていませんでした。

2.肉の人と霊の人

イエスさまは、「けがれた食べ物が人をけがすのではない。人はもとのきよい霊が罪の支配で肉体から来る欲におおわれた肉の人となり、悪い思いで満たされるのです。この悪い思いが人をけがすのです」と言われました。霊を回復させてくださるイエスさまの十字架の犠牲、そして聖霊の助けがなければ、私たちは決してもとのきよい霊の人に戻ることはできません。霊の本質に戻ることなしに、いくら汚れた物を避けてもただ滅びに捨て置かれる存在でしかないのです。

3.けがし合う人でなく

私たちは案外、自分の中から良いものも出てくると思っていないでしょうか。イエスさまは、人から出てくるものは、人をけがすものでしかないと言われます。肉の人は、神の前にけがれた者であるだけではなく、互いにけがし合って、益々神さまから遠ざかります。信仰者にも尚、肉体から来る欲は残ります。しかし、イエスさまと聖霊が本来の霊の人を回復し、保たれるのです。霊の人にされたこの恵みを喜ぶ選択をいたしましょう。み言葉をかたく信じ、イエスさまと聖霊にたよる者は世の勝利者として神さまの栄光を受ける者となります。

2024721日 週報より

2024年7月14日日曜日

ごまかさないで

聖書箇所:マルコによる福音書71-13

こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。

                             マルコによる福音書713

1.偽善者と言われた人々

ユダヤ教の指導者たちは、弟子たちがきよめの洗いをせずに食事をしているのを律法違反だとして、指導者であるイエスさまを問い詰めます。 しかしイエスさまは彼らに「あなたがたは偽善者だ」と厳しい非難をされました。偽善者とはうわべだけの善行を行う人です。彼らが信仰に熱心であっても偽善者となる理由は何でしょうか。

2.偽善者となった理由

1)思い違い:彼らは聖書のみ言葉の理解が難しい所に具体的な決まりを定めて対応していました。そうして聖書のみ言葉より、人がつくった決まりを優先するようになりました。

2)理屈の優先:人は頭で理解し納得できるものを好みます。しかし、人間の理性や感覚は肉体の欲や思いから来ます。彼らは人の理屈で霊なる神さまの思いを曲げて誤った解釈をしていました。

3)自己満足:彼らは人が決めた決まりを100%守っていることで、完全な信仰に歩んでいると自己満足していました。しかもそれを神さまが喜ばれているかどうかを考えることも、心を神さまに向けることもしていませんでした。

3.偽善者のごまかし

彼らは信仰的に見えるように人をごまかしていました。また決まりを守ることが信仰的だと思い込むように自分たちをもごまかしていました。私たちにはそのようなごまかしはないでしょうか。もし罪を示されたら神さまに罪の赦しを得ましょう。その上で罪を犯さないように神さまの助けを求め、神さまに心を向けていくのが偽善的な信仰者にならないための歩みだと教えられています。

2024714日 週報より