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2024年6月9日日曜日

まことの牧者イエス

聖書箇所 マルコによる福音書630-34

飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。                                                                                              マルコによる福音書634

1.神さまに用いられる幸い

弟子たちは人々に接しながら、悪霊を追い出し、病をいやし、神さまのみ言葉を伝えました。こうして自分を通して神さまが働かれる経験をしました。神さまは人を通して働かれます。「神さま、私を用いてください」と神さまの前に自分を差し出す者を神さまは用いてくださり、驚きと喜びに満たされる経験を与えてくださいます。

2.神さまの前に静まる大切さ

イエスさまは弟子たちの報告を聞かれて、弟子たちに休息とらせようとされます。霊を養いまた、体を休める時を与えるためでした。さらにイエスさまは、弟子たちの興奮状態を覚まそうとされました。興奮は人を高ぶらせ、サタンに足をすくわれやすくするのです。一旦静まり、経験したことや今置かれている状況の中で、神さまの自分への導きが何であるかを見つめるのです。そうして静まって神さまと向き合うことで、私たちの魂が探られ整えられていきます。

3.牧者のいない羊のような群衆

弟子たちとの静まる時を持とうとされたイエスさまでしたが、群衆が押し迫ってきました。イエスさまは、「飼う者のない羊のような有様」の彼らをあわれんで、教えを始められました。羊には良い牧者が必要です。彼らは自分で自分を養えないからです。民たちにも霊的な養いをする良い牧者が必要でした。しかし当時、神さまのお言葉で民たちを養う良い牧者となる指導者はいなかったのです。そこでイエスさまは良い牧者として、民の霊を養おうとされたのです。まことの牧者であるイエスさまは、羊である私たちをみ言葉で霊的に養い、私たちが神さまを求めるように導かれます。そうして私たちが神さまに用いられることを喜ぶことができるようにしてくださいます。

202469日 週報より

2024年5月26日日曜日

十二弟子の訓練

聖書箇所 マルコによる福音書66b-13

また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、                         マルコによる福音書67

1.伝道に遣わされた弟子たち

イエスさまは付近の村々の人々に教えられました。それは伝道のためであり、またその様子を弟子たちが見て学ぶ機会を与えるためでもあったようです。このあとイエスさまは、弟子たちを伝道に遣わされます。イエスさまは救いのみわざを完了されれば天に帰られます。その後、人々に救いのみわざの意味と恵みを伝えるのは、弟子たちだけでなす働きとなります。イエスさまはそのための訓練として、弟子たちを本番さながらの条件で送り出されています。

2.弟子たちが学ぶべきこと

弟子たちがこの訓練で何を学ぶべきかは、悪霊を制する権威と限定された持ち物によって知ることができます。まずこの働きが神さまの権威により、人々を悪しきもの(ここでは悪霊、のちにはサタンの支配するこの世と罪)から解放する神さまの働きだと知る必要がありました。また限定された持ち物によって、働きに必要なものは神さまがすべて満たし、養ってくださることを学ぶようにされました。それは弟子たちが神さまの前に砕かれた心で、人々に向かうためでした。

3.結果は神さまの御手に

迎える家が一軒もないなら、足の裏のちりを払い落とすように言われています。「抗議のしるしに」とは「証しのために」という意味です。「後のことは神さまにお任せします」というしるしということです。伝道の結果は神さまの御手にあり、伝える者は神さまの道具なのです。道具は人を裁きません。相手に腹を立てて恨んだり、裁いたりするのではなくて、結果を神さまにお渡しするのです。足のちりを払うのは、そのことのしるしなのだと教えられています。

2024526日 週報より