2024年8月11日日曜日

信仰の用い方

聖書箇所 マルコによる福音書81-10

弟子たちは答えた、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。           マルコによる福音書84

1.繰り返された奇跡

弟子たちは前回の5,000人の奇跡で経験したことを、 今回の場面で生かせませんでした。それは弟子たちが5,000人の奇跡を非日常的なものとして受け取っていたからでした。人は日常的なことは覚えていても非日常的なことは忘れやすいのです。イエスさまは今度こそ、弟子たちの信仰の経験となるように4,000人の奇跡をなされました。

2.信仰経験の大切さ

私たちは出来事を通して、神さまの助けと導きをいただきながら力づけられていく経験をします。これが信仰の経験となります。これを妨げる原因は三つです。第一は、霊的事実の見過ごしです。出来事の中での神さまの働きが見えないことです。第二は、信仰経験とならないことです。神さまが何を教えておられるか悟れなければ信仰経験となりません。第三は、信仰経験が自分の内にとどまらないことです。経験が心()に刻まれないので、忘れて呼び起こせなくなります。

3.信仰を働かせるために

それでは私たちは、どうすればよいのでしょうか。まずは出来事を神さまとの関係性の中で受けとめていくことです。神さまが、助け、慰め、励ましてくださった多くのことを心にとどめて、これらが信仰経験となるように祈っていきます。そして日々の生活でこれらの信仰経験を引きだして、確認していきます(あの時神さまはあんな風に守ってくださった等)。こうして神さまがしてくださったことを上書きするのです。そうすれば、信仰の経験を霊に刻み、とどまった経験を必要に応じて引き出しながら信仰を働かせることができるのです。

2024811日 週報より

2024年8月4日日曜日

世の束縛からの解放

聖書箇所 マルコによる福音書731-37

天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。マルコによる福音書734

1.イエスさまの口止め

イエスさまは癒しをされた後に「この事を誰にも言わないように」と言われました。癒しだけが強調されて伝わることのないためでした。しかし人々は、癒しの素晴らしさに感動して、言い広めてしまいます。自分の思いや考えで突き進んでしまうのではなくて、神さまのお心をいつも意識して歩むことの大切さが教えられています。

2.イエスさまのため息

「ため息をつき」は別の訳では「深く息をして」となっています。イエスさまはこの人の悩みや苦しみをご自身に負われました。そして信仰に導かれるようにとの思いが深い息となりあらわれたのでしょう。イエスさまは私たちの悩みや苦しみもご自身で負い、深い息をされて、神さまとの間で常にとりなしてくださっています。なんという幸い、なんという恵みなのでしょう。

3.イエスさまの「エパタ」の声

「エパタ」は「開けよ」という意味です。ここではイエスさまが、この人の耳や口を閉じた何者かに向かって言われたように感じられます。書かれていないのではっきりとは言えませんが、「彼の耳や口を閉ざすのはやめて早く開けるように」と言われたと考えられます。

実はこの世はサタンの支配下にあります。サタンは人々を世につなぎとめて、神さまに目を向けさせないようにしています。人は自分の力でこの束縛を解くことができません。しかしイエスさまは「エパタ(開けよ)」と言って、私たちをこの世の束縛から解放してくださいます。私たちはイエスさまを信じることで、神さまに目を向け、本来の人としての正しい歩みをする喜びをいただくことができるのです。

202484日 週報より

2024年7月28日日曜日

祈りがこたえられる信仰

聖書箇所:マルコによる福音書724-30

すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。                       マルコによる福音書728

1.スロ・フェニキヤの女性

イエスさまは、ツロ(ローマの属州シリヤ)に行かれます。反発してくるパリサイ人や願いばかりを要求してくる群衆から一旦退かれました。彼らはまだ福音を受け入れられる状況ではありませんでした。しかし神さまから遠いはずの異邦人の地で、イエスさまはすでに福音を受け入れることのできる信仰の民を見ることになります。それがスロ・フェニキヤの女性でした。

2.小犬だと認めた女性

イエスさまのたとえで「子供」はユダヤ人のこと、そして「小犬」は、この女性を含む異邦人でした。イエスさまは「子供のものを、小犬にやるのは良くない」と女性の求めを拒否されました。しかし彼女は、自分を小犬だと認め、「子供たちが落としたパンくずをいただけたらそれで十分です」と答えます。そんな彼女に神さまのあわれみが注がれて、彼女の願い通り娘から悪霊が追い出されました。

3.信仰を引き出された女性

この女性は、冷たく突き放したかのようなイエスさまのお言葉に反発せずに、それなら小犬としてパンくずをいただけるとの信仰に導かれました。彼女はただ神さまのあわれみにすがるしかない者であることを自覚し、イエスさまの導きを素直に受け入れました。この女性のようにイエスさまは私たちをあらゆる機会を通して導き続けてくださっています。導きが必ずしも自分の思い通りではなかったとしても、素直に従うことで祈りがこたえられる信仰に立たせていただけます。それは神さまのお心にそった祈りのできる信仰者の姿です。

2024728日 週報より