2024年12月1日日曜日

盲人の信仰に倣う

聖書箇所 マルコによる福音書10章46-52節

彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。       マルコによる福音書10章47 節

1.盲人の告白

エリコの町で盲人のものごいが、イエスさまに叫び続けます。「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」との叫びは、彼の信仰告白でした。彼は、「救い主であるイエスさま、あなたは盲人の目をあけることもおできになります。あなたはすべてをご存知です。あなたのお心ならばあわれんでください」と叫び続けていたのです。イエスさまはこの告白に急ぐ足をとめられたのです。

2.盲人の確信

彼は、イエスさまが呼んでおられると聞いたとたんに、踊りあがって喜びました。彼はこの時もうすでに目が癒されることを確信していました。イエスさまが通られる唯一の機会を、彼は恵みの時としたのです。ものごいの境遇と戦いながら、それでも彼は救い主を心から待ち望み、神さまのあわれみが注がれることを信じ続けていました。イエスさまは、弟子としてのあるべき信仰の姿をこの盲人に見ておられました。

3.盲人の信仰

この盲人はただ神さまのあわれみにすがりました。「神さま、あなたは私のことをすべてご存知で、こんな私にも恵みを与えるあわれみ深いお方です。その恵みを私に受け取らせてください」。これがこの盲人の思いでした。イエスさまは「あなたのその信仰によってあなたは助けをいただいたのです」と言われたのでした。これまで霊の目で信じてきた彼は、この時から見える目で、イエスさまを仰ぎ従いました。私たちも「お心ならばあわれんでください」という盲人の信仰に倣って歩む者とされましょう。

2024年12月1日 週報より


2024年11月24日日曜日

仕える喜び

聖書箇所 マルコによる福音書1035-45

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、          マルコによる福音書1043

1.地位を求めた弟子たち

弟子の二人が、神の国の右大臣と左大臣にして欲しいと願い出ます。彼らは肉体の欲から来る強い思いがあったので、十字架の死と復活のことを聞いても、イエスさまが少し弱気になっておられるとしか受けとめられませんでした。私たちにもこのような肉の思いがあります。それが霊的な事実や教えを自分の都合の良いように曲げてしまうことを覚えておく必要があります。

2.神さまの目線

イエスさまは「偉くなりたい」という肉の思いから出た、弟子たちの世的反応の愚かさを明らかにされます。そして「あなたがたの間で偉くなりたければ、仕える人になりなさい」と言われました。神さまは、仕える人を人の上に立つ人と見てくださいます。私たちは神さまの目と世の目のどちらを大事にしているかをいつも確認して、神さまの目線を意識する必要があります。

3.仕えるために来られた主

「わたしが飲む杯」とは、十字架による苦しみと死を意味します。ここでの「バプテスマ」は、十字架を自らの意志で受け、人々にあらわすことです。イエスさまは、私たち一人一人のために仕える人となりこの地上に来られました。私たちを罪から救い出すためにご自身の命を十字架に献げるという仕え方をされたのです。神さまは私たちにもこの世での役割を与え、人に仕える歩みを喜べるようにしてくださっています。そして仕える私たちを高く引き上げてくださいます。私たちの労苦は主にあって無駄になることはありません。

20241124日 週報より

2024年11月17日日曜日

神の思い、人の思い 

聖書箇所 マルコによる福音書10章32-34節

するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた                        マルコによる福音書1032

1.驚き怪しんだ弟子たち

イエスさまは十字架の受難と復活にまっすぐ向かって行かれます。弟子たちはイエスさまのお心を理解できず、驚き怪しみました。彼らはイエスさまが、死や十字架とかかわるはずがないと思い込んでいました。思いがかたくなな彼らは、受難と復活について三度聞かされても、悟れませんでした。たとえ自分の思いですぐに納得できなくても、お言葉に素直に聞き従う大切さが教えられています。

2.時にかなった導き

この時イエスさまは、弟子たちに受難と復活の意味は教えられませんでした。それは、弟子たちがまずイエスさまの復活の事実を伝える証人として立つことを望まれていたからでした。やがて弟子たちは聖霊の助けで、十字架と復活の意味をも解き明かす証人となります。神さまの導きは時にかなって、相応しく与えられます。これに素直に従えば、神さまのお心からそれることはありません。

3.復活の証人として

弟子たちは予告の真意を悟れませんでした。自分たちの思いだけに捕われていて、予告がその思いに反していたからです。しかし彼らは聖霊によって、自分たちの思いでかたくなだった心が砕かれました。そして神さまのお心に従う歩みに変えられて、復活の証人となります。聖霊は信じた私たちにも助けと導きをくださいます。自分の思いではなく、神さまのお言葉に従い行きましょう。それが神さまの喜びとなり、私たちの喜びともなります。神さまは、私たちをキリストの復活の証人の一人として輝かせてくださるのです。

2024年11月17日 週報より